二人の賢者と熊本遠征4
■前回のエピソード》
幣立神宮(へいたてじんぐう)へ向かう車中、僕は賢者αから送られた『高森殿の杉』(たかもりどののすぎ)とのツーショットが危険な写真に思えてならなかった。杉が余りに巨大かつ形が奇妙に思えてならず、一種の恐怖心もあった。
白へび
「賢者αさん、さっきの写真、送信取り消ししてください」
賢者α
「え?いらんのん?」
白へび
「何となく奇妙で、残しておかない方がいいようなきがするんです」
賢者α
「ふ~ん、じゃぁ・・・消しといた」
白へび
「すみません」
さて、幣立神宮というと、僕は2020年秋に一人旅でこの神社を訪れている。
その時は、熊本市内から路線バスで行った。山の中腹で乗り換え、更に奥地に進む。すると高千穂一歩手前くらいの所に幣立神宮がある。そんな感じだ。
その時は、忘れもしない。その日の熊本地方の天気予報は、曇り時々雨。特に午前中は雨が降る確率は高めだったが、山沿いの天気までは把握してなかった。
熊本市内から出発後、山のふもとの中学校か高校の建物の近くを通り過ぎると間もなく山道に入る。
山道に入ると途端に雨足が強まる。雨足の強さが更に加速し、車内アナウンスをかき消すほどにバスの天井に激しい雨が打ち付け続けた。山が沈むほど降った。けど不安とかは無かった、むしろ摩訶不思議な現象を体験しているような感じ。
バスがふもとの学校近くを通過するころ、乗客は僕一人になっていた。
平日の真昼間にわざわざ路線バスで幣立神宮へ行く物好きなどそうはいないのだろうか。
山の中腹にちょっとだけ開けた場所がある。そこが一旦終点となる。そこから更に奥地へ向かう非常に本数の少ない路線バスに乗り換え。さらに4~50分走っただろうか、ようやく幣立神宮すぐ近くのバス停に到着する。
バスから降りるころには、いきなり随分な小雨になる。辛うじて傘をささなくても平気なくらいになった。
もしかして、お清めだったのか。山が沈むほどの大雨が必要なくらい、落とさなきゃいけない状態だったのか、僕は・・。と何となくお清めのサービスを受けたような気がしていた。
もしかすると、この大雨の体験はのちの滝行に通ずる何かだったのかも‥。『滝の激しい水の当たり』と『山が沈むほどのけたたましい大雨』、どちらもお清め感が漂う。
■関連するかもしれないエピソード》
僕は幣立神宮に関しては、大昔その場所で複数の人種の代表が集まり、仲良しの儀式を行ったというくらいのことや、分水嶺(ぶんすいれん)に当たる場所だということくらいしか知らず、折角そこまで行ったにもかかわらず、神宮裏の龍神池までは行かなかったし、知らなかった。
龍神池に通ずる道には入ったが、途中で引き返したのだ。
そこから先は、僕が行くには時期尚早(しょうそう)だったのではなかろうか。
なぜそう思うかというと、これを執筆していてふと思い出された『とあるエピソード』に答えがありそうだ。
という、僕にとって世にも不思議なことが起きているのだ。
とにかく持って帰らせまいとする何らかの力は働いてた。
つづく
■次のエピソード》