ケアマネジメントが「感情労働」であるかぎり
(前回はこちら)
ケアマネを仕事をしている人間としては、AIの発達でケアマネジャーが不要になるんじゃないか、って考えたくもない話ですが、現実的にそうなるかもしれない危機感を持って仕事をするのは悪いことではないと思います。
もし、救いの道を探るならば、前々々回の「AIでケアマネジメントはどうなるか」の記事を読んでいただければヒントがあると思いますが、いくらコンピューターが進化しても、音楽はいまだに人の手で演奏されているのと同じで、ケアマネジメントの仕事も消滅してしまうことはないと思います。
ただ、どうやって生き残るか、ということは考えなくてはいけません。
「課題分析標準項目」を聴き取ることは「アセスメント」のひとつですが、それがすべてではありません。
ケアマネジャーは対人援助職のひとつです。利用者の悩みや悲しみや苦しみや希望や望む未来を聴くことが一番重要なのです。
利用者や家族は気持ちを誰かに聴いてもらいたいと思っている人が大半です。だって介護の問題は自分や家族の生活を一変させるから。
言いたくない人は心を開けないだけで、抱え込んでいる人は言える相手や場所を知らないだけです。
顧客の感情をくみ取っておこなう仕事を「感情労働」と言います。看護師や介護士だって「感情労働」です。
ケアマネジメントが「感情労働」であり続ける限り、AIやコンピューターに仕事を奪われることはないでしょう。利用者や家族は感情を通わせたいと思っているからです。
ただ、感情を通わせない、単なる「ケアプランを作成する人」では先はない、と思います。
「グルーヴのない音楽を創りたかった。しかし、すぐにそれは飽きてしまった」とYMOのリーダー・細野晴臣氏はインタビューでそう語っていました。
人の感情を揺さぶる音楽としてグルーヴは大切な要素であり、それは人の手で行わなければいけないとYMOの初期から結論づけ、その後のYMOの曲には至るところに生楽器での演奏が織り交ぜられています。
結論。「課題分析標準項目」だけを埋めるだけのケアマネジャーなら不要、利用者や家族に共感しつつケアマネジメントを遂行できるなら必要。
(おわり)