自分は他人から形成されているものではない
どうも!今日も1から頑張るかいちゃんです!
今日はなななんと!ピアスを開けました!いええええいいいい!
バイトが塾講だから今までピアスは開けてなかったんだけど、自分を変えるって決めたんだしこの際思い切って「開けちゃえ~なんとかなるし隠せばええか」ってなったから開けました!
ところでみんなどこ開けたと思う?
正解は~
軟骨と耳たぶでした~!
昔っていっても通信の高校行ってるときなんだけど、そん時は5か所もピアス空いてたのね。そんでそん時の自分は「ピアス空いてる僕ってマジでかっこよくね!?最強にかっこいいでしょ!しかもみんなに菅田将暉に似てるって言われたり山崎賢人に似てるって言われるしマジで最強じゃね?」って思ってた時期を思い出しちゃったもんで勢いでまた開けちゃいましたよ
これは元カノが教えてくれたことなんだけど。「もう彼氏とかはいいから、おいしいもの食べて友達と遊んでかわいくなる」って言ってたの思い出して、自分もかっこよくなろうって思うだけ思ったんだけど何がかっこいいのかわかりませんって話になったんだよね。自分にかっこいいっていうのはあきらめてたしどうにもかっこよくなれないって長い間思ってきたんだけど、いざ変わろうとしてかっこよくなろうとしてもどうすればいいのかわかんなかったんだよね、多分変わったのは塾講に入って強制的にピアス外して好きなことをどんどんやめていった時期からおかしくなったんだよね。それも1年ぐらいまえからなんだけど、、、それで1年ぐらい好きなこと強敵に、いや自分自身でやめて勝手に嫌になってたんだけど。まあまあ他人のせいにでもしたくなるよここまでくると、でも今は変わるべきだからピアスもするし歌もアニソンとかボカロとか好きなの聞くしゲームも一人でもやってたようなゲームだってするし、もっといろいろ自分自身がだいすきでたまらなかた時みたいに戻るんだ!
僕はかわるんだよーん!
今までは自己形成は他人からの評価で成り立ってると考えてたから、てかその理論かっこよくねって感じで自分で思い込むように好きなってたんだよね。いやこの理論確かのそうなんだよね。自分自身は他人からどのようにみられているのかっていう自分の理論なんだけどね、、、
他人が優しいっていうなら自分は優しいし他人が自分は面白い人間だっていうなら自分は面白い人間だって、、、確かにそうなんだよこれだけみると、自分のことを第三者からみれるから全然いいことなんだよね。でもそれを完璧にそうなんだって思うといいこともあるし悪いこともあるんだよね。
まずいいこととして自分に自信が持てること、これは当たり前なんだよね。
だって全然そうじゃないって思っていたことを他人から言われたら確かにそうかもって思えるからだからこれはまず第一にいいこと。それに自分のいいところを見つけれる。自分が知らない、いいところをわかる。
いいとこばっかに見えるけど逆に悪いところがある
まず自分みたいに自分がわからない、逆に自分のことをよくわかっている人が当てはまると思うんだ。だって自分のことがわからない人は自分がどんな人かわからないから、他人からどう見られているのかとかどう思われてるのかっていうのが自分を形成するすべてになってるからなんだよね。だから、自分のことが余計にわからなくなるし、「自分ってこうなんだぁ」って思い自分自身を他人がいないと何が何なのかわからなくなるから
それに自分のことをよくわかってる人、人のことを考えながらいつもいる人は当たり前の評価がきる。だから自分自身そう思われるように動いているわけだから当たり前のように感じるよって自分のことを無視して他人のために動き続ける人もこのようになってしまう。つまり自分、かいちゃんである。
だって無理じゃん!人のために動いてるんだもんそりゃ他の人にやさしいって言われるにきまってるし!そうじゃないもっともっと違うのをくれ!僕はどんな人間なんだってずっと頼ってた。毎回義務教育中に一回はやるよね、隣の人はどんな人ですかー!ってあれよあれ
あれでいつも困ってた、だって自分でいいところ書いたら絶対一緒のやつになるんだもん
まあいいやこんな自分の理論そんな大切じゃないし…最悪大学の卒論にしよっと…
だからね、かいちゃんは今日から自分を他人に決めてもらうんじゃなくて自分はどんなことも自分が楽しいほう、かっこいいと思うほうに進んでいきます!
軟骨開けたので1か月後店にいって見せに行きます…なんつって
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