終わりのないマラソン
私の性格を一言で表すと『大の負けず嫌い』だ。
最近で言えば『女だからって男に負けるのは嫌』
が一番大きな負けず嫌いを発揮しているところだと思う。
こういうと決まって『女だから使えるものもある』と言われる。
気に入ってくれたおじさんや男の人たちにいい顔して
何かしてもらうとか。
そんなことができるのは特権だとも言われるが、それが極端に嫌だ。
言い換えればもしかしたら女であることへのコンプレックスなのか?
とも思うのだが、別に女であることが嫌なわけでもなんでもない。
性別なんか関係ないと言われ始めたこの時代の流れだし
ただ割り当てられたものでしかないと思うし
自分の属する性別での差別があるわけではないと思いたいが、この世にはそういった差別が存在するのも事実。
まぁ、なんて生きづらい世の中なんだと思ってしまう。
こんなことを言っていても仕方ないし、全然最初話そうと思ったことから脱線したんだけど、私のために始めたノートだからここはよしとする。
(もちろん普段の会話ではこんな脱線した話は自重している)
話を戻すと自分は負けず嫌いだという話なのだが、ここ最近その負けず嫌いが形を変えてきていて、妙に厄介なのだ。
負けず嫌いに形なんかないと言えばないんだけど、本当に形が変わった。
私の子供の頃の負けず嫌いは
『体操教室に通う女の子や男の子が授業で倒立をいとも簡単にしているのに、私はできない!悔しい!!!』
そこから毎日背筋と腹筋腕立て伏せをし、その先の授業では倒立をやってのけたのを覚えている。
『鉄棒が好きでおばぁちゃんに教えてもらったけど体操教室に通うあの子はもっとすごいのやってた!!悔しい!!』
これもばぁちゃんに教えてもらってひたすら練習し、休み時間に何回転できるか勝負を仕掛けたことがあった。
今思えばなんであんなに体操をしている子たちと、体操教室に通ってもいない私が張り合っていたのかは謎だったが、まぁ純粋な負けず嫌いである。
共通項としては『自分にないものを持っている人への羨ましさ』からきている。
そう考えてしまえば、大人になっての負けず嫌いも似たようなものではある。
ただ問題なのは大人になって、『意地』になっている感じが否めないのだ。
本音を話すには涙が出てくるからそれを話さなくても良いような環境にいる。
それが本当に幸せなのか??
素直に話すのが本当にこんなにも難しくなってしまったのはいつからだろうか。
なんて考えながら見るSNSにはたくさんの『私にはないもの』を持っている人がいる。
じゃあ私にしかないものってなんだろう?と考えて、とにかく自由にやりたいことをバーーーっとやりつづけている。
それが何になったのだろうか。
『私』を確立できたのか??
目標がないと頑張れないタイプであることは自覚済みだ。
その目標がなく頑張るのは終わりも達成感もないマラソンをずっと走り続けている状態と変わらないのでは、、、?と思っている。
私の憧れる女性たちは、芯を持っている。目標を持っている。
それがない私はダメなのでは??
今日もただただ脳内整理のためにここを使わせてもらっている。
何か伝えたいことがあって書いているわけではない。
ただただぼんやりと考えることを書き連ねる。これもまた終わりのないマラソンと一緒かもしれない。