受け継ぐ ー小説・村田新八断片ー

10年以上前に書いた、村田新八絡みの小説が出てきました。
長編小説の構想だったようですが見事に冒頭で挫折しており(苦笑)、きりのいいところで終わっていたので、2回に分けて公開してみます。
続きである「船中にて」はこちら

 一瞬、自分が子供に戻ったような錯覚を起こした。
 ランプのほのかな光に照らされた横顔。細められた瞳が、柔らかな優しさをたたえて新吉を見下ろしている。
「おはんな、帰らんか」
 子守歌のように闇をやわらげる、七歳年上のいとこの声。
 頭がぼやけたまま見つめ返すと、目の前の笑みがますます深まる。
「東京に、な」
 よく思い出すのは、なぜかこの時の笑顔。
「兄さあ、おいも一緒じゃち決めたじゃごわはんか」
 置いていかれてたまるか。きっぱり言うと、いとこの村田新八は唇を困ったように少しだけゆがめた。
「どうも眠れんで、まちっと話すか」
 テーブルに移動し、ランプの灯を強める新八。
 新八は明治四年の暮れ、岩倉使節団の随員として洋行。洋行中に辞職、その後は私費でヨーロッパに残って、フランスを中心に諸国を巡り、明治七年一月に帰国した。
 この明治七年一月のある夜、新八と新吉は翌日の船で鹿児島に帰郷すべく、横浜に宿を取った。だが新八はずっと眠れずに、弟分の自分を連れ帰っていいものかを考えていたに違いない。
 新吉はそれを薄々感じていたから、初めて新八に対して訥々と議を言った。
 本当なら新吉は今頃、再渡米のためすでに同じ横浜から出航しているはずだったが、さらに学問を深める機会を投げ出して、新八に従おうと決意していた。それは新八と兄弟の契りを結んでいる新吉にとっては、当然の行為だった。
 それをここまで来て、一度二人で決めたことを覆そうとするなど、新八らしくない。
「兄さあが鹿児島に帰るち言われっとなら、おいも帰る。そう決めもした」
 それだけを何度も繰り返す。新吉が言葉を重ねるほどに、新八の笑みが子供を見守るような、優しく深いものになっていく。新八の笑顔の深度に比例して、新吉は不安でたまらなくなる。
 結果は分かっていた。兄の言うことに、弟は従わなければならない。
 幼い頃から年下の新吉をかばい、守ってくれた新八。帰れと言うのも、自分を思ってのこと。そう分かっている。分かっていても、言っておきたい。
「おはんな大久保さあに近すぎる」
 ぽたりとこぼすように、新八。
「おいなら、二人ばよう知っちょっ」
 その通りだった。新吉は大久保利通になにかと目をかけられ、アメリカで留学費用が底をついて困っていたのを救われた上、アメリカに留学している大久保の息子達の面倒をずっと見てきた。
 それに対して新八は、西郷隆盛と大久保利通、どちらとも親しく、どちらの信頼も厚い。
 明治六年、世間は征韓論に沸き、日本でただ一人の陸軍大将である西郷隆盛に期待を寄せた。その西郷は、遣韓大使派遣の件が廟議で却下され、参議を辞任。今は鹿児島に帰っている。
 西郷の後を追い、薩摩出身の近衛兵や巡査などが次々に辞職、政府はあわてて慰撫したが効果はなかった。
 新八は洋行中も常に西郷のことを気にかけていたから、西郷の参議辞任を横浜からもたらされた英字新聞で知るや、すぐに帰国した。帰国後早速大久保に会い、東京に残った他の薩摩人達からも事情を聞いた。さらに帰国の挨拶回りも兼ね、様々な立場の旧知の人々とも語りあった。
 その上で新八は、もう充分じゃち思うから鹿児島に帰る、おいの進退は吉之助さあの話ば聞いてからじゃ、と新吉に告げたのだった。
「言い分ば聞くには、おいんごた立場の者がよかが」
 控えめな新八は、自分が適任だ、とは言い切らない。智仁勇いずれも兼ね備えている、と西郷に言わしめた新八を、新吉は心から尊敬している。
「そいには、おい一人で足る」
 新八が短い言葉を重ねるたび、新吉は不安と心細さに身体が縮むような思いがした。
 泣きたい。
「何度も言うたどん、今度のこっは、吉之助さあと大久保さあ、両大関の激突じゃっでなあ」
 ことさらにのんびり言って、笑う新八。
 思い出す。重なる。
 昔、二人の家はある事情から親戚づきあいを絶ち、まだ若かった新吉と新八も行き来を禁じられた。だが新八は、これは当主同士の喧嘩に過ぎず、自分達には関係ない、と明確に断定し、兄弟同士だったそれぞれの父親の目を盗んで、変わらずに新吉とつきあい続けた。
 そしてある日、二人は新八の提案で兄弟の契りを結び、それが両家の義絶解消のきっかけとなった。この時、ただ気を揉んでいるだけだった周りの親戚達が口々に新八を誉め、新吉も誇らしかった記憶がある。あの時のように、自分が西郷と大久保の仲を取り持とうと、新八は決意したのだろう。
 だが、これは親戚同士の喧嘩とは訳が違う。西郷も大久保も、それぞれに国を背負っている。薩摩人は今度のことで、はっきり西郷派と大久保派に分かれてしまった。
 行司は難儀じゃろなあ、と言う新八は、内心どれほどの覚悟を秘めているのか。
 それが分かる気がするだけに、新吉はなおさら新八のそばにいたかった。
「じゃっどん、兄さあ」
 新吉は目の前の新八にしがみつきたいような思いで言う。
 なんとしても共に鹿児島に帰りたい。帰って、生死を共にしたい。兄弟の契りとは、そういうもののはずだ。
 洋学一筋で来た新吉にも、薩摩人らしい激しさはしっかりと存在している。
「新吉、おはん東京に叔父さあば残して行っどな?」
 穏やかな、とどめの一言。
「そいはいかんど、新吉」
 ことさらに優しい、柔らかな新八のまなざし。
 新八を見る目は、きっと置き去りにされた犬のようだったに違いない。
 そんな視線を受け止め、新八が笑う。ゆったりと深い、錦江湾の青い海のように。
 置いていかれる。
 ランプが消えたのか、いきなり見えなくなる新八の笑顔。
 兄さあ、と叫んだはずが、声にならない。
 置いて、いかれた────。


 父上、と呼ばれたらしかった。
 薄暗く冷たいさみしさを覚えながら、高橋新吉は熱に潤んだ瞳をうっすら開く。
「気分はどうですか」
 老いた父を心配そうに見下ろすのは、長男の新作。
「……また、夢じゃ」
 父のぼんやりと湿った声に、息子が小さくうなずく。
 若い頃の自分によく似た、しかししっかりと母親の面差しも受け継いでいる息子の顔。新吉は目をそらし、気づかれないほどかすかにため息をつく。
 重病の老体には、現実よりもむしろ、いとこが生きている夢の中が恋しい。
 置いていかれた。そんな思いが、さみしさが、年を経るほどに増していく。
 明治十年九月二十四日。新吉のいとこ村田新八は、西郷隆盛に殉じて城山で戦死した。今新吉が病身を横たえているのは、大正七年十月。
 四十年が、過ぎた。
 四十年という年月が、思いを軽くすることはなかった。心に漆を塗られたような重苦しさ。兄と慕った亡き人を思い出しては嘆息する日々。
 だがそれも、明治十年という年にあまたの薩摩人が味わい、背負い続けた悲劇のうちの、ささやかな一つでしかない。
「……もう、ここいらでよか」
 あの日西郷はそう言って、自らの首を打たせたという。
「父上……?」
 覚えず漏れた言葉に、新作がおびえたような顔をする。それを新吉は目だけでなだめた。
 風邪をこじらせての肺炎が、七十を過ぎた新吉の身体を衰弱させていく。
 この四十年、新吉は税関長やニューヨーク領事などを務めた後、実業界へ入り、貴族院議員も務めた。実業界への転身時には多少騒がれもしたが、官僚としてはさほど華々しい功績もない。一心に務めあげた、地味な人生だったと思う。
 ありがちな人生の終わりは、老人にありがちな死の迎え方。
 自分にはこれでよかった。そう思う。
 誇れるのは、偉大ないとこ、村田新八。それに、いつしか薩摩辞書と呼ばれるようになった英和辞書を、世に送り出したこと。あとは、九州に鉄道を敷いたことぐらいか。
 自嘲と懐かしさと、うずくような痛み。
 最後の日を、新八はどんな思いで迎えたのだろう。最期に、なにを思ったろう。
「なあ、新作」
 夢に見た新八の笑顔を思いながら、新吉は息子を呼ぶ。
「爵位の事が決まったら……」
 それだけ言うにも息が続かない。新吉はくっきりした二重の瞳を閉じて、いったん息を整える。
 父の言葉を、身を固くして待つ新作。その気配に、新吉はうっすら微笑んだ。
 これが、遺言になる。少なくても息子はそのつもりだ。
「おはん、新八と名乗らんか」
 新作は返事をしない。その改名の意味と重さを、よく分かっているのだろう。
「もう、誰に遠慮すっこともなかで……」
 語尾がかすれ、新吉は激しくせきこんだ。狼狽したのか、新作は硬直したように動けない。
 西南戦争で天皇に刃向かったとして逆賊とされていた新八の名誉は、大正五年に従五位を贈られ、完全に回復していた。そして今、新吉を大蔵省に呼び、なにかと面倒を見てくれた恩人でもある松方正義が、新吉への男爵授爵のために動いている。
「どげんじゃ、新作」
 声を絞り出した喉の奥で、かすかに血の味がする。
 新吉自身は、男爵になるならないはどうでもよかった。息子が新八を名乗り、男爵・高橋新八が誕生しさえすれば、もう思い残すことはない。
「……僕がその名を名乗ってもよろしいのですか」
 すでに四十を過ぎ、会社の社長でもある新作の声が、硬い。
「よかで、言うちょっとじゃ」
 新吉は息子がうなずくのを見たくて、少し目を開けた。
「分かりました」
 真剣な顔でうなずく息子。
 新吉は安心して、また眠りへとゆっくり沈んでいく。
 村田新八は三十になる少し前まで、実家の姓である高橋新八を名乗っていた。

                              了

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