畏敬の念をもって物を見ている人は、人との議論の中で沢山の事を発見している
色んな人の会話を聞ける機会が出て来て色々と勉強になる。
見ていると、畏敬の念をもって物を見ている人は、人との議論の中で沢山の事を発見している。
こういう人は、大体、自分自身は既に何らかの形で満たされているので、他者を認める余裕がある。社会的に認められていたり、「専門家的サトリ」H24要素を土台として持ち合わせている。
24は、24を呼び、徐々に24が増え、土台となり、12を引き寄せる.
24-48ー96の三つ組みの話題から
12-24ー48を生み出す。12を引き寄せる。
という感じかな?
松村先生のnote43を読んでいて、関連文章を発見
> 感情と身体性が進化しない場合、思考は空虚な理論を持て遊ぶような行為に耽り、自分自身もそれを虚しいことだと実感しているが、でも脱出する方法が見つからない。シュタイナーは畏敬の念というものが大切だと言っているが、これは高次感情の成分、あるいは高次感情センターのことだ。それは通常の社会生活においては、滅多に獲得できないし、発揮できない。感動しやすい人はたくさんいるが、たいていこれはH24の感情だ。H24の感情とは、まさにオープンマインドの明るい感情といえる。
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金を作るには金がいる。という事を連想していたら,
なんとまあ、タイムリーな物が。ありがたい。