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忍耐はほどほどに。

我慢強さや忍耐って、ある程度は大切だとは思います。耐えなくてはいけないところは耐えて、時には犠牲にしなくてはいけないものもあるかと思います。でも、あまりに忍耐力を上げて耐久性が強くなりすぎると、我慢しなくていいことまで我慢して、犠牲にしなくていいことまで犠牲にするようになって、心身のバランスを崩す原因になります。

先日、そんな話をクライアントさんにしました。クライアントさんの話を聞いていたら、明らかに犠牲にしなくていいものを犠牲にして、耐えなくていいことを耐えているご様子。僕がそう伝えたら、我に返ったようにハッとしていました。

僕も忍耐力を強くしすぎてしまったせいで、我慢しなくていいことまで我慢するように(できるように)なってしまい、なんでも我慢するようになっていました。前にnoteで書いたパワハラを受けていた話やリストラの話は、まさにその頃のことです。パワハラの話は読み切りですが、リストラの話は全6話なので、お時間のあるときにでも。

「しなくていい我慢」「必要のない忍耐」をしてしまう理由としては、相手に嫌われたくないという部分が大きいかと思います。上司から嫌われたくない、会社から嫌われて解雇されたくない、恋人や伴侶から嫌われて別れたくない、友達や仲間から嫌われたくない…など、そんな感じで「しなくていい我慢」をしてしまっている人もいるのではないでしょうか。場の雰囲気を乱したくないし壊したくないからとか、いい人と思われたいからとかという理由で、必要以上に気を遣っているのも、結局は「嫌われたくない」ということの延長線上だと思います。

「しなくていい我慢」が無自覚のものになってしまうと、自分が我慢することがデフォルトになってしまって、なんの疑いもなく当たり前のように我慢するようになります。そうなれば、自分の内面に無自覚の小さなフラストレーションを溜め込んでしまい、心身のバランスを崩すことになります。僕もリストラの一件があった後、重度の顔面神経麻痺と蕁麻疹を起こしてしまいました。すべては「しなくていい我慢」のせいなのです。

今の僕は「しなくていい我慢」や「必要のない忍耐」を一切しなくなったので、違和感や疑問を感じることがあれば相手に素直に伝えています。もしも伝えて相手から嫌われるようなことがあっても、それまでの関係だったと割り切れるくらいの心構えでいるので、ダメージは一切ありません。「しなくていい我慢」で自分を押し殺して自分自身に不具合が生じるより、ずっと健全な生き方だと思っています。

今、「しなくていい我慢」や「必要のない忍耐」をしているという人、そういうことが無自覚の癖になってると思った人は、いい加減そういう調整のやり方はやめましょう。忍耐はほどほどに。

かつて「おしん」というドラマがありましたが、日本人って昔から耐え忍ぶことが素晴らしいと捉えている傾向があるように思えます。時代は変わってきたものの、今も国民性としてやはりそこの部分が根強くあるんじゃないかと思うんです。耐える姿が後に美談になる、みたいな思想。そんな変な思い込みも、そろそろ断ち切ったほうがいいかと思います。

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Naoya
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