熊野滞在記 -那智編- 2016.9.28-30
熊野3日目、最終日。宿を早めに出て、那智の滝へと向かいました。ちょっと出遅れると駐車場はすぐに満車になり、観光客でごった返すからです。「早朝の誰もいないくらいの那智の滝を観ましょう」という中澤さんからのご提案は大正解。到着するとほとんど人がいませんでした。まずは飛瀧神社にて参拝。
毎秒1トンの水が落ちているんだとか。凄い迫力。滝の近くまで寄れるエリアがあるので、そこに入って再度参拝。中澤さんが真言を唱えてくださいました。その後、しばらく自由行動をということになり、僕はただ滝を眺めたり、目を閉じて滝の轟音に耳を傾けながら軽く瞑想をしました。
落下する水の束は何頭もの龍にも見えるのですが、ぼんやりと眺めているうちに、水が落下して岩肌で砕け散る様子が仏さまの滝行の姿のように思えてきました。
那智の滝を後にしてしばらく車を走らせていたとき、熊野那智大社と青岸渡寺に寄るのを忘れていることに気づきました。引き返すこともできたのですが、まぁ、これも流れなんだろうということでそのままに。前日入ることができなかった大斎原へ寄ってもらうことにしました。ここだけはどうしても行きたかったんです。
大斎原へ向かう途中、道路の脇にこんな立派な滝が姿を現しました。
その場で調べたところ、白見の滝という名前のある滝で、「那智の裏滝」とも言われているそう。熊野はこんな感じで滝がいろんなところにあります。雨水によって滝が生まれたり枯れたりするらしです。さすが降雨量の多いエリア。
大斎原に到着。この日はちゃんと入ることができました。
前日の雷は何だったんでしょうか。本当に僕たちが入ろうとしたところで一発鳴って光っただけで、その後は鳴りも光りもしませんでした。明らかに警告なんだろうなぁ、と。理由はいまだにわかりませんが、あのとき入らなくてよかったんだという感覚は今も自分の中に残っています。
かつての熊野本宮大社は、熊野川・音無川・岩田川という3つの川に囲まれた大斎原という中州にあったそうで、今の8倍くらいの規模だったらしいです。明治22年(1889年)8月の水害で社殿が流されていまい、水害を免れた4社が現在の場所へ遷座したのだそう。
江戸時代まで音無川には橋が架けられていなくて、参詣者は音無川を草鞋を濡らして渡ったらしいです。今もその形で残っていれば、日本のモンサンミシェルという感じだったのでしょう。ちなみに大斎原は撮影禁止です。
大斎原を出て、天河弁財天に寄ることになりました。とても贅沢な旅です。天河弁財天も玉置神社同様、行きたくても辿り着けないところなのだとか。今回も無事に辿り着くことができました。ありがたきことです。前回改装中だった禊殿も立派に完成していたので、そちらもお参りさせていただきました。
その後、修験者たちが登る大峰山の入口を中澤さんが案内してくれました。女人禁制の領域です。現在はオフシーズンなので人が誰もいませんが、入口に建てられた石碑や木でつくられた門には大きく「女人結界」と書かれ、その先には細長い木々が延々と続いていく森が存在していました。一応写真も撮ったけど、気軽に載せられないくらい跳ね除けるような強いエネルギーを放っている場所。玉置神社の強さとも違うんです。畏怖の念というか、怖さすら感じさせる場所。今まで生きてきて、あんなに強い光景は見たことがありません。
中には女性蔑視を唱えて強行突破で大峰山に入山しようとした女性団体や、男装で入山しようとした女性もいたそうですが、入ってはいけないことにはそれなりの理由があるわけで、それは守って欲しいところ。男の僕ですら、生半可な気持ちで接してはいけない領域だと思いました。そんな神聖な場所を見せていただけたことに感謝です。
その後、大峯山龍泉寺というお寺に寄りました。
1300年も続く水行の場だそうで、急遽ここで水行か滝行をやろうかという話になったのですが、次回にすることにしました。あまりに濃密な旅だったので、消化できなくなりそうだったからです。次回は天川で一泊なんていうのもいいなと思いました。
今回の熊野の旅はここでおしまいです。今回は写真撮影は少なめにして、なるべくその場の空気を感じることを大切にしました。時間をかけつつ、今回の熊野で感じたあれこれを落とし込んでいるところです。
前回の熊野も今回の熊野もそうですが、その旅で何を得たのか、何が答えなのかは自分が判断するものではないし、焦ってどうにかするものではないと思っています。それはある日、ふと明示されると思っています。なので、あとは自分が日々やるべきことやできることをやり続けるのみです。
僕の熊野行きのきっかけをつくった晴明神社の御年90の宮司さんは、今年の6月末で引退されてしまいましたが、5月の熊野の直後にお会いしたら「あなたは正しい道を選んでいらっしゃる」と笑顔で言ってくださっていました。ありがたく心強いお言葉です。今回も熊野から帰った翌日、晴明神社へ御礼参りをしてから、新しい宮司さん(多分息子さん)にお話しをしに行ったところ、先代の宮司さんと同じようなことを言われつつも、衝撃的なお告げをいただいてしまいました。聞きたい人がいたら個別に聞いてみてください。
今回も僕が求めている以上の旅が実現したことを、山伏のガイドの中澤さんに深く感謝して、この滞在記を終わりたいと思います。
-おわり-
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