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可能性を広げてくれる人との出会いはあるか

しばらく休止していましたが、一部に熱烈なファンがいるこの「田舎の牢獄から東京に脱出して生き延びた50代サバイバル記」マガジン、11本目の記事をお届けします。
今回は、「可能性を広げてくれる人との出会いはあるか」という話でもしてみましょう。

私は今まで2回ほど、「開米さんに出会えて人生が変わりました」と言われたことがあります。出会えてと言っても直接会ったわけではなく、私が書いた本がその2人には非常に役に立った、という感想をもらったわけです(その後片方の人とは実際に会いましたが)。

いずれも会社でのコミュニケーションがうまく行かずに悩んでいたところで私の本に出会い、論理構成の技法がまるで違うことに衝撃を受けて実際やってみたら一気に仕事が楽になったそうで、それは私にとっても「生きてて良かった、本を書いて良かった」と思えた経験でした。

他にも、私が作った研修プログラムを見て衝撃を受け、研修コンテンツをビジネスゲームとして作り込めば独自のビジネスになる! と考えて独立してしまった研修会社社長もいます。

以上は幸いにして私が他の人の人生を少しお手伝いできた例ですが、逆に私が助けられたケースも当然あります。毎日私の健康や家の管理をしてくれる女房がいなかったらとっくに死んでいたでしょうし、困った時にお金を貸してくれた人・仕事を発注してくれた人なども何人もいて、いろいろと頭が上がりません。まあこうして世の中は持ちつ持たれつ回っていくのでしょう。

ところでそんな「助け合いの人生」は当然田舎にもあるはずですが、残念ながら私の変な?才能に注目して、それを伸ばす機会を、生きる助けをくれたのは都会の人々だけでした。

それは別に田舎の人が悪いわけじゃない。単に山に住む鹿や猪と海に住むマグロやアジが違う種族であるぐらいに違う存在だというだけです。山の種族は山しか知らないから海の種族のことは理解できない。ただそれだけで、別に悪気があるわけじゃない。彼らは彼らの常識で善かれと思って僕にアドバイスをしたり「村のルール」を守らせようとしてくるわけですが、それがたまたま「海の種族」に育ってしまった僕にはまったく合わない。

だから彼らは僕のことを「子供のくせにわけのわからないことをやって村の和を乱す、自分勝手な奴」と思ったでしょうし、僕は僕で自分の「素直な思い」を出す度に非難され抑圧されバカにされるような事態が繰り返されると「周囲はみな敵」と感じ、心を閉ざすようになりました。

唯一の望みは、別な世界に行くこと。

そのために開いていた唯一のルートが進学であり、そしてこれもたまたま、私にはその「進学」ルートを使える素質がありました。……要するに勉強ができました。

結局、「進学」だけでは問題は解決せず、その後もいろいろと苦境に立たされることになるのですが、少なくとも「東京に出てきたことで、自分の可能性を広げてくれる人との出会い」は広がりました。

大事なのは「人の縁」です。インターネットがある今の時代であれば、物理的に都会に出てこなくても「縁」を作れることがあります。そんな、使える手段は何でも使って自分の道を開いていく必要があるのだと思います。・・・生き残るために。

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