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私とDiFun

自分の中に点在する物語を文として紡ぐのは思いの外難しい。
もう既に幾度も書いたが纏まらなくて消している。
いっそのこと、纏めようとせず点々と書くので良いかと諦めた。


1番はとにかくでかい金属の塊が好きで、
次は基板とかごちゃごちゃした電線、
その次は空気抵抗が設計された戦闘機の曲線がたまらなく好きだ。

両親は海南語を話した。
簡単な日常会話しかできなかった。
共働きで昼も夜もほぼ家にいなかった。
価値観の違いも相まって、小学5年生から大学2回までほぼ口をきかないような壮絶な思春期を過ごした。

自分の話していること理解してもらえない孤独感をずっと抱え込んでいた。

有機物より無機物の方が落ち着く。
人間と違って、アクションを起こせば必ず反応がある。殆どはエラーなんだけど。
上手くやれば思ったように動いてくれる。
それに彼らは何処にもいかない。
機械にはそういう良さがある。

モノづくりが好きだ。
言葉で伝えられなかった感情がそこで昇華されるからなんだと思う。


DiFunを立ち上げる前までは、モデルとフロントエンドエンジニアを掛け持ちで仕事していた。
あとは小1~高校生対象に、それぞれの作りたいものに合わせて教えるプログラミングの先生をしたり。

大学では電気電子を専攻し2回生の時に辞めている。その時に独学でプログラミングを勉強してフリーランスでお仕事をいただいて、会社で半年ほどエンジニアとして仕事した後また独立して仕事をしていた。

色々作っていた。写真・作品として創りこむのも、勉強がてらアプリ開発をするのも、人に教えながら一緒に作るのも、趣味で服や動画をつくるのも好きだった。

その延長線上で色々動いてたら荒波に出会ってDiFunに行きついた。

全ての始まりは遊びで、その延長線上に物事がある

これが私の人生の哲学だ。

大学の時、講義がダメだった。動画も微妙。
本を読んで、何かつくったり手を動かしながら学ぶのが肌にあっていた。
遊びが始めた物事が、結局1番深くまで連れて行ってくれた。

エンジニアとして仕事をしていたけど、趣味での個人開発はまた別物だった。そこは消費でなく自分の血が通っている気がした。でも個人で作るのには限界があって、それが何処かで埋もれ消えてしまう空虚さを感じていた。

だからハッカソンに行き着いた。
Leiという存在によって受け継いでくれる感覚をもたらしてくれる。
そういう場所が、欲しかった。

会社を作ってからプロダクトとかサービスの説明をする機会が増えた。1日の殆どはそういう時間。けど正直、殆どの事は動きながらでないと見えてこないものだと思う。

「うまくいくか知らないが、これをやらなければなにもはじまらない」

吉田松蔭

良くも悪くも、目立った。
人目に耐えられなくて大学の時約1年半ほど引きこもっていた。
逃げるようにパソコンに向かっていた。
自分の居場所だった。

やりたい事を話したら鼻で笑われた。
でもやった。
そうするとその内肯定されるようになった。
上手くいけばそれはそれで、
それ以上の変化は反対された。でもやった。
上手くいっていたとしても天井が見えていた。
全部捨てて環境を変えて一から人間関係を作り直す必要があった。
勿体無いだとか、極端だとか言われても変えた。
そうしていくうちに、自分にしか出来ない仕事を少しずつ出来るようになった。


とにかく動く、動きながら考える
中期的に考えて動く
長期的に必要な環境づくりを見据えて今から種を蒔く
タイミングを見てから動く

側から見たらたまに本質からズレていることをしているように見えるかもしれない。動いてないように見えるかもしれない。でもちゃんと上記に分けて動いているだけで、自分の中では筋が通ったひとつながりだったりする。
そういうのは大体結果論としてしか理解されない。

自分の中の流れが明確に変わった時は、
表面的な華やかさだけではなく、やりたい事の為ならアルバイトを掛け持ちしながらでもやってやると覚悟を決めた時だ。
その時ぜんぶの迷いがなくなった。

何かを成すには時間がかかる。
けど何処もかしこも性急に数字やら結果を求めてくる。無視する必要がある。
自分を信じて無視して、遠回りに見える道を愚直に歩くしかない。自分の場合は案外それが近道だった経験ばかりだ。とにかく無視する必要がある。

早く目的地に辿り着くことを求められるけど、
わたしは、せっかくなのでこの長い道のりを楽しみながら自由に歩いていこうと思う。

なんで起業したかをよく聞かれる。
一つの答えとしては、遊びの延長線上だ。

質問の裏の意図として何故そんなリスクが取れるのか聞きたいのだと思う。

もう一つの答えは、失うものなど何もなかった。
経験しか残らない。
仮に何かあってもバイトをすれば生きていけるし、そこから自分次第で幾らでも再起できる。

何かをする時、自分は具体的な動きではなく
軸と方向性を定める様にするしそこを強調する。
つまり、特定のペインを解決するためのサービスの実現がゴールなのか、理想とする社会の実現の為の手段の一つに過ぎないのか。生き方、在り方としては後者の方が動き方や見え方の柔軟性が大きく変わってくるし、躓いたとしても他の選択肢が常にあるわけだ。折れるという選択肢がなくなる。

DiFun、Diはラテン語で神を意味しFunは遊び
世の中に遊びを仕掛ける
というのが理念だ。

豊かさの根源、文化というのは遊び心に宿る。
技術だけで言えばバーチャルヒューマンの開発だけれども、DiFunという色、軸となる動きはここにある。

つまらない、つまらない、つまらない、なんか面白いことないかと一千万人が顔を合わせば挨拶がわりに言っている大都会の厖大な欲求不満

命売ります 三島由紀夫

もっと面白いを仕掛けていきたい。

既に企画はハッカソン以外に4つほどあって、毎月なにかしら仕掛けていけそうだ。海外進出はしっかりやっていきたいので年明けから2ヶ月ほど渡航すると思う。動かないと生きた情報も手に入らないし、さっさと現地に行ってしまうのが最善かな。

自分がやる理由だったり強みをきかれる。
柔軟な企画力と、くもりがかった状態でもジャブを打つ行動力だと思う。

リソースは限られている。
特に目先半年間でやる事は決めている。
なるべく沢山ジャブを打つ事だ。

なんか面白そう、から始まるのがいい。
それくらいが良い。
そうやって沢山人を巻き込んでDiFunをつくり上げていきたい。

新しいものの創造は、知性によって達成されるものではない。内面の必要性から、直感的におこなわれる遊びによって達成される。この創造的思考は、その愛する対象との戯れである。

カール・ユング 

わたしは武士でありたい。わたしが理想とする「武」とは、喧嘩の腕を磨いたり、権力を手に入れたりすることではなく、なにに対して命を注ぐかを明確にし、その迷いを断ち切ることです。

吉田松蔭


創業したては何もない。
だからこそ自分について書く必要があるとおもって、まばらな文でも書くことにした。

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