道なき道
道なき道の歩く時、それは事前に経験やデータがない状況での選択と決断の連続だ。
一体どこから始めたら良いのか、何が選ぶのが正解なのか、どう進めたらいいのか何も分からないし、誰も教えてくれなんてしない。
左右も分からず放り投げ出されて歩くしかなかったところから初めて、歩きながら歩き方を覚えた私から一つだけ確かに言えることがある。
それは、いくら脳内であれこれ考えても、それだけで一度きりで正しい正解に辿り着く事はほぼないという事だ。
存在するのはその時点においての最適解でしかなく、そしてそれは常に軌道修正されるべきものである。
私達に出来るのは、とっとと決断をして、さっさと小さな失敗をして、なるべく早くそれに気がついて軌道修正することだ。
そうする事でしか進められないと実感している。
未経験で上手くいっていることの多くは運要素が多く、学べることが少ない。
でも失敗をすれば、必ず振り返るし、少しずつやり方が分かってくるのだ。うまくいく方法は見つからなくても、少なくとも、“これじゃ上手くいかない”をしらみ潰しに一つずつ潰していける。
迷って決断をしないより、決断して後悔をする方がずっとマシだ。たまたま上手くいってる状況というのはいつ崩れるか分からない脆いものに対して、失敗した経験の後に積み重ねる一歩は確実なものだからだ。
これは言い換えれば、わたしは“決断”自体にそこまで重きを置いていない。それは後々修正してもいいものだし、むしろ一度決断した後、それに向き合う行為自体がずっと大切なのだ。だから最初の決断など、迷ったのならコインを投げて決めても構わないと思う。一度決断した後、それと真剣に向き合ってみて違うなと思ったから変える、それでいいのだ。
私達に出来るのは、とっとと決断をして、さっさと小さな失敗をして、なるべく早くそれに気がついて軌道修正することだ。
簡潔な文にまとめたが、押さえるべきポイントが詰まってるので、そこについても言及したい。
・小さな失敗をする
・なるべく早く気づく
・軌道修正をする
これは言い換えれば、
・小さな失敗に留まるよう工夫をすること
・反応できるだけの情報を蓄えておくこと、
自分の嗅覚を信じること
・勇気を持って、軌道修正に切り込むこと
である。
小さな失敗に留まるよう工夫をすること
失敗は避けたい、でも完全にミスを避けることは難しい。であれば常に失敗した後でも、リカバリーしやすい状況にしておく工夫は大切である。
例えば誰を採用して良いのか分からない場合は、一度誰かを採用してみる。採用した人をよく観察して初めて、この業務をこなすにはこのスキルが必要で、この役職はこの資質を持っている人が適任で、自分と上手くやっていける人はこんな人だと、やっと見えてくる。
幾ら本を読んで知識を入れたって、アドバイスを請うたって、そこに答えなどない。創業者の性格や取り組んでいる分野、会社のフェーズによって最適解など変わるのだ。
1歩目は大胆でいい。でもその後は、一度お試し雇用期間を設定するなどと工夫をする事だ。
もう一つの例を挙げよう。
新規事業開発でどの分野を攻めて何から着手しようか迷っているとする。個人的にはリサーチという言葉に惑わされて上手く動けない事が多い。調査とか生ぬるい表現よりも、私の場合は、実際に売ってみるが1番やりやすい。売りながら、売り方を変えて調査を並行するといったやり方だ。いきなり開発はしない。本格的に開発を始めてしまうと、軌道修正の柔軟性が失われるリスクを孕むからだ。
失敗の匂いになるべく早く気づく
反応できるだけの情報を蓄えておくこと、
自分の嗅覚を信じること
3つとも大切だが、中でもここが1番難しいと思う。何が難しいかと言われれば、全部が全部、はっきりと明確にすぐに失敗に結びつくわけじゃない。つまり、失敗らしい失敗ではないが、でも最適解ではない事は本能的に分かっている状況だ。
だから厄介なのだ。これで上手くいくわけでもなく、そして同時に失敗するわけでもない、そこそこのプロダクトやチームといった具合だ。
あるのは、ちょっとした違和感の連続。
しばらくはそれっぽく上手く回るだろう、ただ少し歯車が狂い始めたら、それを乗り越えられるだけの力はないといった具合だ。
そういう違和感は大切にした方がいい。明確に言語化できるのはもっと後で、あるのは直感だけだ。そして誰に何を言われても、直感が違和感や不快感を訴えてたら、突っ込んで確かめた方がいい。もしくは書き留めておいて、判断するタイミング、起動スイッチを決めておく事だ。
そうすればいつまでもだらだらと悩む事がなくなる。
そしてもう一つ、物事に反応できるようなるには反応できるだけの知識がまず必要だ。だから日頃から読書などを通して勉強することも大切である。そして同時にコミュニーケーションから社内や物事の状況を把握しておくも重要である。コミュニケーションは信頼関係を築く為でもあるが、同時に判断に必要なだけの情報を日頃から集める役割を果たす。そしてこれは双方的なものであるから、知識が不足していれば、目の前に経験のある人がいても気が付かないし話を引き出せない。そして自力で全てを把握するのは不可能だから、コミュニケーションを通して自分に必要な情報を圧縮してもらい、専門外でも取捨選択をしてキーワードだけを押さえておくなどの工夫がいる。ここの情報共有も、部下が勝手に話してくれるわけじゃないから、上手にお願いして引き出すなど指示出しにも技術がいる。
勇気を持って、軌道修正に切り込むこと
違和感に気がついたら、しっかり確かめる。
そして最後は切り込んで軌道修正をすること。
これは役目だ。
結局はトップが1番会社の全体像をよく把握している。これは構造上そうなるし、むしろそれがやるべき事でもある。
分野によっては自分よりもその道の専門に頼んでいるので、自分の専門分野じゃないからと弱気になるときがあるかもしれない。
でも自分を信じた方がいい。他の人に見えてない問題点に気がついてる、それはとても大切なことだから。
例え社内で多数が反対したとしても、会社の全体像を1番よく把握してるのは自分ということを忘れてはいけない。
最後に、決断について
選択を迫られた時、私は常に選択によって起こりうる最悪のケースをまず考える。
それを覚悟しておくこと。そして発生した場合にはまず最初にやる事を予め決めておく。
1番最悪のパターンをイメージして慣れておく。
最悪のパターンはこれだが、そこまで悲惨な状況になる確率は低いだろうと、サイコロを振る感覚でやっと初めて楽観的に割り切って思いっきり行動に移すことが出来る。
ポジティブかネガティヴか、人はこれをどう捉えるのか私は知らない。
ただ一つ、わたしは既に決めていることがある。
それは自分の負け方についてだ。
最終的にどうなるかは全力を尽くした上で自分のコントロール外に委ねられるが、負け方はいわば自身の在り方であり、それは自分である程度制御出来るはずだからだ。
そして私は、精神的に負けることだけはしないと決めている。アルコールや睡眠薬に溺れたり、投げやりな態度で仕事に向かうことだけはしないと、既に決めている。
何となくやってみて、ぼんやり負けたなどとつまらない負け方はしない。負けるのならせめて、前のめりに意味ある経験を積んで負けたい。(蛇足かもしれないが、仮の話であってそもそも根本的に負けるつもりはさらさらないとだけ補足しておく。)
なんだよそれって思われるかもしれないが、決断という行為自体にはそれだけの力がある。決断とは思考を一度打ち切り、向き合い方を決める行為だからだ。
悩みに対する対処法を上手く身につけなければ、精神的に壊れるか、心臓病で突然死するか、不眠や高血圧で早死にする。
私はまず第一に私の人生の責任者であるから、心が壊れるような事は絶対にしない。そのラインが来たら距離を取ると決めている。心を壊して、自分の人生を壊すような事はしない。
何かを成し遂げるのも、人間関係を築くのも長期間に渡り忍耐が必要となる。最終的には自分の為なのは勿論そうだが、誰かの事を思って何かすることもある。でも、それを軽んじられたり、理解されなかったり曲解されたりして、単純なことでも上手くいかないことが続くと全て馬鹿馬鹿しく思える時がある。何の為に、誰の為に頑張ってるのか見失う時がある。
自分の為に頑張る、という感覚は私には合わなかった。自分の為を考えるならば、私は自らの内側ばかりに集中して、自己憐憫に耽ってやめる選択をするからだ。そこまでしなくても生きていけるし、むしろそうした方が精神的にも救われるという見方もある。
誰かの為という感覚は余計に馬鹿馬鹿しいと感じる。あまりにも何も報われないからだ。
そういう時に思い出すようにしてるのは、私は自分の為や誰かの為に苦しい思いをしているのではなく、成したい事の為、もっといえば自分の責務の為に踏ん張っているということ。そして、こういう時私とはどういう人であるか(ありたいか)を思い出し、短期的な情緒的反応を排除して、行動に移すことに集中すること。
物事に取り組むこと自体が難しいのではない。
自分の心の逃し方が上手く見つけられないのが難しいのだ。
最近みた映画、「ウィンストン・チャーチル/ ヒトラーから世界を救った男」で、とても励まされた台詞を共有したい。
私は誰かの考えを変えたり、誰かの行動を変えることはできない。
人は自らの判断と決断でしか変わらないからだ。
物事自体はどうなるか分からなくても、人と関わった時間の積み重ねは残る。
だから私の多くの時間は、気がついたら、誰かに何をいうか、どういうかを考えていることが多い。
私が変えられるのは、
目の前の人に対してどう言葉を投げかけるかと、
沈黙をどう使うかだけだ。
この前お会いした経営者(このイベント自体内容が非公開の為に詳細は伏せるが、既に上場していてよく知られている企業の方)が話していて、強く印象に残った言葉がある。
業界の理想像というのが既にあって、それを求められてるように感じることがある。カリスマ的に振る舞ってメディアでどんどん露出して派手な動きを発信し続ける等。
でも無理しても、それは続かない。
もしかしたら、“こういう人物のように振る舞え”って誰かが型にはめようとしてくるかもしれないが、合わないものは合わないのだ。
それで言えば、私は基本的には静かに頑張る方が好きだ。注目を浴びて警戒されて真似されるより、見下されて油断された方がずっとやりやすい。表面なんかより中身が大切で、内容やプロダクトさえしっかりしていれば、いつだって気を引けるから。今は中身を詰める方がずっと優先順位が高い。
起業する人間なんて、そもそも普通に馴染めない人が多いから、型に自分を当てはめようとするようには見えないかもしれないが、意外と弱い生き物で強がりで自信がなくて、やりがちなのだ。
自分に合う方法を見つけるってのは、改めて本当に大切だなと思う。そして私も少しずつ、自分に合うやり方が分かってきたような気がする。
学んだことや書きたいことが山積みで、もしかしたら上手にまとめられてないかもしれないけど、長くなったので今回はここで終わりにする。
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