檻の向こう側 / エッセイ
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もう少し、いい文章が書けるように極めよう。
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もしわたしが
もっと早くにこう考えられていたのなら、
どれほど生きやすかったのだろうか。
わたしは言葉から色や温度、棘を吸収してしまう。だからSNSでは発信することはあっても、極力見ないようにしている。
そんな自分の感性を、ちょっと繊細で起業家には向いてないのかもなと思っていた。
自分自身を否定的に捉えてしまうのは
幼少期からの癖である。
わたしがいて、何かを言う。
そうすると周りから否定的な言葉が返ってくる。
その積み重ねで、
いつしか自分も周りと同じような尺度で物事をみるようになり、同じような言葉を使うようになってしまった。
もしわたしが、
言葉から色んなものを吸収してしまうのであれば、それは言葉の持つ力を余すことなく享受しているからである。
そしてそれは、言葉という物質を本能的に深く理解していると捉えることが出来る。
深く理解してはじめて、真正面から向き合うことができ、丁寧に扱うことができる。
その感性は否定するべきものではない。
むしろ磨けば、誰かの心を動かすことができる、いい文章を書ける可能性を秘めているのだ。
恥じる必要などなかったのだ。
言葉は武器となる。
唯一、無から有を創り出すことが出来るからだ。
だから自信を持って、その感性を磨く方向に進めばいい。
自分自身に
そう言ってあげられたとき、
無意識に創り出した思考の牢獄から
他の誰でもなく、
自分で自分に手を差し伸ばすことができたとき、
わたしは大人になったのだなと思う。