渡辺京二『熊本県人』についての雑感
いま現在、熊本に住んでいる身として、やはり渡辺京二という名前は巨大だ。
もちろん熊本に来る前から深い敬意を払っているけれど、
熊本に来てから一年近くがたち、おそらく、一人二人くらい人を介せばつながるところまでは来ていたし、それもあって、近々拙訳のアミタヴ・ゴーシュ『飢えた潮』が出た暁にはぜひ読んでいただきたいと思っていた。だから、先日ご逝去の報は、とりわけ残念だった。
渡辺京二さん死去 92歳「逝きし世の面影」:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
これは熊本に住む者ならではの感慨かもしれないが、渡辺京二さんは、私も購読している熊本日日新聞で「小さきものの近代」というはなはだ魅力的な連載をしていて、それを読む限り、まだまだ気力充溢していらっしゃるな、と安心していたので、訃報には本当にびっくりした。後で知ったところによると、本連載は、かなり先の分まで原稿ができており、したがって最新の新聞に載るものは、実際にはかなり以前の原稿だった訳である。
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さて、まだ読んでいなかった『熊本県人』を、図書館で借りて読んだ。これは、渡辺さんの初の「著書」であるらしい。まだ文筆家として有名になる前の渡辺さんが、コネにすがって「貧窮のどん底にあったものだから、何か仕事を廻して下さいとおねだりし」て、得た仕事だそうで、そういう意味では、テーマとして、渡辺さんの内部から湧き出してきたものでは無い。さらにいえば、「県民性」などというのはなんともあやしいあてにならない概念であって、本書には学術的な価値はおそらくない。渡辺さんの後年の著作は、数多の研究者にとっても無視できないものだと思うけれど、恐らく歴史・思想の研究者が本著をあらためて読み返すということはおそらく無いだろう。
とはいえ、渡辺さん独自のいきいきとした語り口は本書でも健在で、「もっこす」とか「わまかし」といった性格像を軸にした、肥後の大地に生きたいかにも肥後的な歴史人物たちの列伝として、読みやすいし、面白い。異動や転職で熊本に初めて来る方にとっては、実用的な意味でも役に立つ本だろう。
私にとって、一番印象深かったのは、幕末・維新の肥後の思想的巨人として、かなりの頁を費やして描きだした横井小楠と、林桜園。横井小楠は言わずと知れた肥後実学党の巨星で、肥後藩では不遇だったが、幕末、越前候松平春嶽の知遇を得て、維新後は明治政府の参議に登用される(そして攘夷主義者に暗殺される)。一方林桜園は神風連の乱を引き起こした熊本敬神党の生みの親(桜園自身は乱の数年前に死去)。神風連自体、全国的には時流を無視して神ながらの道を唱えたアナクロニズムの権化と捉えられていて、渡辺さんの評価も大枠ここから外れるものではない。しかし、その敬神党を生んだ林桜園については、意外ともいえる高い評価をしているわけです。渡辺さんによれば、神風連の乱を起こした桜園の弟子たちは、桜園の思想をごく浅くしかできていなかった。
渡辺さんがこの二人にいかに高い地位を与えていたか、たとえば:
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小楠と桜園とは、わが国が世界史的な力によって開国を強要されたときに、日本人の自立の途をもっとも本質的に思索したふたりの肥後人である。彼らの思想はナショナルな自立を追求するうえで、ふたつの極といってよいほどちがった構想を指し示しており、その対立は、水準の高さにおいてすでに肥後というより全国的な意味をもっている。しかし、小楠と桜園という一見まったく異質な二人の思想家には、よく見てみると意外に共通した要素が多いことに気づく。その共通点を、私たちは肥後における精神的な伝統と呼ぶことができるかもしれない。
(中略)
第三には、この二人は徹底した理想主義者であり、ユートピスト(小楠のユートピアは中国古代、桜園のユートピアはわが国の上代)であるにもかかわらず、現実に関するかぎり、じつにさえざえとしたリアリストである。現実を見る眼はけっして観念によってくもらされていないし、相当意地悪である。きれいごとでなく、シニックに真相をいいあててしまう。これまた肥後人の本能のひとつである。
ただし、小楠にせよ桜園にせよ、彼らに現れているものは、けっして肥後人の一般的平均的な精神傾向ではなく、高く連なる山々の頂きをたどった場合に観察できる傾向であることをことわっておきたい。この二人の思想はその後の肥後精神史において、正統に継がれなかった。その思想の深さにおいても、人物のスケールにおいても、この二人を超える人間を熊本をふたたび生まなかった。その意味で、彼らはたんなる肥後的なものを高く超越した存在であった(183-185頁)
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さて、随分ながながと引用しましたが、いいたかったことは、上記の引用部において、横井小楠を「渡辺京二」に、林桜園を「石牟礼道子」に変換したうえで、いくつか語句を現代日本のキーワードに入れ替えれば、それはそのまま渡辺さんと石牟礼さんに対する的確な評になるのではないか、ということです。
それぞれ、江戸期の日本、チッソに汚染される前の自然豊かな水俣に対するロマンチックともいえる憧憬をもちつつも、目の前の現実に対しては、恐るべき批評眼と闘争心をもって、本質的でリアリスティック、シニックな批判を繰り広げた渡辺さんと石牟礼さんの存在は、それこそ、比類ないスケールで熊本思想史上に屹立する偉大な連山であるわけです。
小楠も桜園も私自身も読んでもいないし詳しくも無いので、渡辺さんによる小楠・桜園評がじっさいどれほど納得感のあるものなのか、私には判断のしようもないけれど、ひょっとして、渡辺さん、これを書いてきた時、内心、心情的に、小楠と桜園を自分たち二人に相当重ねて、将来への野望を温めていたのではないだろうかと邪推するのは、ちょっと楽しい想像です。
以上、突っ込んだ分析もまとめもなにもない、とりとめもない感想まで。。。