46. 参考になった教え
お盆休み中なことから、複雑なテーマは避けて気軽に読める話題を選びました。
一時期、国語担当の先生の代任として、臨時の先生に習ったことがある。年配のおじさん先生で戦争の話題も多かったと記憶している。ほんの数回の授業だったにもかかわらず、なぜかいまだに繰り返し思い出す場面がある。
「いいですか、皆さん。教科書に書いてあることが皆正しいと思ってはいけませんよ。活字に気をつけて下さい。活字になると真実だと思い込みやすいですが、そんなことはありません。書き間違いもあるし、内容が真実ではない場合もあります。鵜呑みせず、疑問を持ちながら読んで下さい。」
これは中学生の頭には記憶に残るほど衝撃であった。活字になってしかも教科書に載っていることはそのまま学べばよい、と刷り込まれていたからだ。学校で習うことは正しい・・・今思えばこれは洗脳の一種でもある。この国語の臨時の先生によって、割と早いうちに活字を斜めに読む習慣がついたと思う。
その後、新しい研究成果や発掘などによって教科書が書き換えられることがあることも確かに理解した。しかし、それは善意の分野であって、捻じ曲げられた話を真実として正規の記録に残している場合もある。特に正史は征服者の視点からの記録のため、自分たちにとって都合の良い事しか残さない。
もうひとつは、儲けのための偽の記述。その時代にウケる話題にすればそれは受け入れられるし、売れる。
もうひとつは、民衆を洗脳するための偽の情報。
特にメディア、権威ある人から。
史料の吟味訓練は相当役立っている。しかしながら、尊敬する多くの先達がメディアに悉く騙され続けている様子を見ると、残念ながら、吟味熟練が役立っているとは到底思えない。
考古学の先生の教えも役に立っている。
「物理学の新発見は飛びついてもいいですが、考古学の新発見にはやたらに飛びついてはいけません。大発見がそうそうあるわけではない。まずは疑ってかかることです。」
他の内容は覚えてないくせに、このシーンはよく覚えている。その後、とある新発見で世間が沸いた。しかし、ウソはすぐにバレ、「自分で埋めた」ことが発覚。長年見つからないから自分で埋めるしかない。焦りがそうさせた。なるほど、と納得した覚えがある。
授業の本筋ではないさりげない話だったが、これらの智慧が今の自分のパーツのひとつにもなっている。
活字になっているから、
メディアが言っているから、
権威が言っているから、
大発見だ!
には一呼吸。
信じ込まず、やたらに飛びつかないこと。
複数の情報を集めて照合することは必須。誰それが言っているから、など色眼鏡をかけず、自分で調べ、考える。雲の上から見てみよう。
地震、台風
発表されている情報と現地の人の話も照合してみると違う面も見えてきますねー。
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