20. グル、メンターとの関わり方
グルはサンスクリット語、パーリ語で、師、指導者、教師、メンターはアドバイザー的な存在。日本では、1980年代にはまだ普及していなかった呼称だったように記憶しています。
スピリチュアルのセミナーなどが開催されるようになると、グル、アシュラム、と聞こえ始め、ビジネスのハウツー本が流行り始めると、メンターの知恵が流れるようになりました。私のグルは誰それ、私のメンターは大成功したあの方です、など。
試しにグルを調べてみますと、1800年代に活躍し、その筋の人なら誰もが知っている超有名なグルの写真がみつかります。
その人の右手は、はっきりコルナサイン。角二本。
目覚めている人ならもちろんすぐわかりますよね。闇の世界と契約をして例の儀式に関わりを持っていたとは。実はミスリード要員でした。歴史上の有名なグルと言われる人物も、人によっては背後に罠があるということです。
グル、メンターを信じ切るとそれはもう宗教になってしまいます。「この人が言うことは皆正しい、それを批判する人は許せない」となると病膏肓に入る、でしょう。
これは政府、テレビ、マスメディア、権威を信じ切って言われるがままに受け入れる、ここ数年の世相と同じだと思いませんか?
自称グル、メンターもそれぞれです。大部分は納得することを伝えながら、もうすでに闇の工作員とバレている存在にあっさりひっかかっている。残念ながら見抜けていないんですね。
見抜けていないことを見抜けたら、その部分に片目をつむるか、その上のステップを昇ればよいのです。そうすればあなたにふさわしいメンターが現れるかもしれません。
人が多く集まる大衆コースなのか、人がまばらな上級コースなのか。自然と導かれていくはずです。
自称グルを見分けるには、「何を言っているか」の他に「誰と交流しているか」をチェックする方法があります。BH側から資金をもらっている人とつるんでいる人はどうでしょうか?
グル、メンターを高級レストランのフルコースにたとえて、次々と目の前に出される料理を苦手なものがあったとしてもすべて食べる人。
ビュッフェと考えて、好きなものだけを自分で選んでお皿に盛る人。
受け手の姿勢はそれぞれだと思います。ただ、100%正しいと思い続けていると、自分で考える能力の筋力が落ちるような気がします。
ラムサの本だったと記憶していますが、
「信念ほど怖いものはない」
という文章が印象に残っています。信念が固すぎると柔軟に対応することが難しくなる、自分が信じていること以外のことには耳をかさなくなる。
例え尊敬している人の言っていること、身近な人のアドバイスだとしても鵜呑みする必要はありません。それはあくまでもその人の見聞、経験、フィルターを通した意見です。
腑に落ちることだけ受容すればよいのです。
参考にする、という姿勢でよいのです。
最後に決めるのは自分ですが、識別力を鍛えた自分に沿うのが理想だと思います。識別力を鍛えるには、沢山の体験、失敗、損失が伴うことが多いでしょう。それはお勉強代と考えるしかないですね。
フッ素を摂取させて判断力をにぶくさせる、松果体の働きを抑えて大衆をコントロールする、これは計画的な科学実験。教育で上からの支配を受容させる訓練、世間からの目を気にさせる、これも仕組まれたシステムの内でした。
要は、グル、メンターとの距離を意識的にコントロールして取捨選択すること、自分の鏡を曇らせない工夫が、迷路にはまらないコツでしょう。
迷う人は、自分軸が揺らいでいる、周りの意見をどっちもバランスよく取り入れようと無理をしている人、少しマイナス的観点から言うと、実はどっちが有利か損得勘定している人。レストランであれもこれも食べたい!決められない!もありますが、胃袋はひとつ、予算もあるでしょう。
腑に落ちることを選ぶ、腹を決める。
どちらも体中心部のハラ周辺の感覚ですね。日本語には沢山ヒントがあります。
頭だけに頼らず、ハートの感覚を捉え、腹に力を入れ、重心を低くする(日本伝統芸能の基本)。これからの時代に役に立つ感覚と智慧でしょう。