日本のメンタルヘルスに関わる社会課題の変数考察~SNSと出版社のコンテンツ編~
不安とパニックが専門に6年以上、資格はなくとも知見を溜めてきた私としては、現代(2000年~)日本の精神疾患罹患者に対する「診断→治療(投薬or心理療法)→社会行政でインクルード」の仕組みにもろもろ限界がきており、これまでのスキームでは特に若者の精神疾患に対する治療に限界、ないしは悪化しているケースを日常でみてきた。精神疾患罹患者に対する理解や問題を考察をするには、「心理学」だけも「医学」だけも、「薬学」だけも、「社会福祉」だけでも「法律」だけでも足りない。だから人にかかわる分野すべてのアカデミック領域を横断する学び、いわゆる人に関わる「リベラルアーツ」的な学びが必要だった。これまで数年、定量データと定性(当事者に対して話をきく)両方で見て、メンタルヘルスの社会課題に関するボトルネックであろう変数を考察する1回目。
webサイトやバイラルするSNS上での精神疾患やマイノリティに対する情報の氾濫
Google検索で「精神疾患」と検索すれば、天文学的ページがアルゴリズム評価を経て、上から順番に1秒以内で表示される。「精神疾患・障害」に関する月間平均検索ボリュームは約10万回、あくまでこれはGoogleのプラットフォームのみの数値。
各SNSプラットフォームは現状、情報の信頼性、妥当性を評価するアルゴリズムはない。ゆえに障害者やマイノリティへの差別や分断を煽る情報のバイラル、またはマスメディアに露出している各業界の権威や、年配の方が当たり前に過激な単語をSNSで発言する。それは、私たち若者世代、そしてもっと子供、健常者、そしていちばんは精神疾患で悩んでいる方は確実にみている。
マスコミュニケーションにおいて
大衆はわかりすい、理解しやすい粒度の情報を求める
が
精神疾患に関しては、わかりやすさと反比例して、差別や偏見、スティグマが広がる
可能性があることをマス側、またはSNSの情報の発信者、クリエイター等コンテンツ作成者は理解していない方もいる。
下記の漫画は一例に過ぎなく、どんな想いや意図が作成者や関わった方、最終意思決定者にあったとしても、マス(大衆)向けに届けていいコンテンツではないと思う。
「子供を殺してください」という親たち(新潮社)
子供の死を祈る親達(新潮社)
発刊した結果、マクロ(国)レベルでどんな課題解決を推進した?家庭の問題と各精神疾患を紐付け、スティグマや差別、偏見を加速させうる要因として負の結果も起こりうることもある。なぜなら、取り上げている家庭の問題や精神疾患のケースは論文ベースでない以上1/nとしか言えないから。その結果、特定の精神疾患がある人やその関係者の家族はさらに行政や民間サービス、周囲にアクセスしなくなる可能性がある。監修者として心理学、精神医学、社会福祉系の研究者が入っていないコンテンツの妥当性や信頼性は薄い可能性がある。いれない代わりエッジが効いたコンテンツが作成でき、商業的に成功しやすい。
アカデミック業界団体やメンタルヘルスに関わる職種の方はデジタルコミュニケーションの優先度は低い
基本、研究者は論文を書き研究するのがお仕事。そのため、マス向けの発信の優先度は構造上下がらざる得ない。スキルセットや思考も論文と多分近く「abstract→問題・目的→方法→結果→考察」となり、データからの論理の飛躍や言いきりは絶対しない。〇〇の結果~だといえるだろうというのが、サイエンスの世界。
そのため研究者は大衆にわかりすい、理解しやすい粒度の情報の発信は基本しない
がゆえ、論文ベースの統計やデータなき、abstractベースの発信をする各企業とメディアと構造上、相性はは悪い。そしてジャーナリズムとも。
結論、その非対称性をなくし、
情報の発信者・受信者・アカデミックの三方の利害を最大公約数で一致させる三方よしの事業を作るのが私の役割
となります。現場からは以上です。