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農と食で遊べる場所をつくろうぜ

マカロニウエスタンが大好きだったぼくは、いつの間にか農業に魅入られていた。

農業と言っても棚田と古民家周辺の野菜を自給する農家ではなく、クリント・イーストウッドが荒野の豚小屋で渇いた堆肥と砂埃に塗れたテイストだ。

実際は「農地法」というハードルがあり、農地を借りてやってみることは難易度は高め。

農業は担い手不足だけど農地を借りるには農家になることが必要。農家になるには農家の生まれor農業実績があり、従事していないといけない。

入り口がなければそりゃ不可能だろうと思うのだけれど、そんなこと言っても仕方がない。ぼくは広い荒野で畜産がやりたいんだ!なんて思いながら一歩ずつ踏み出すことにした。仲間の紹介で農業研修を山梨県でスタートした。

それからこの世界に飛び込んで丸10年経った。一応、小規模ながら農産物を生産しながら右往左往しつつ畜産農家として生活している訳だけれど、イマイチしっくりこない。何がしっくりこないのか。情けない事に自分も分かっていなかった。

長沼伸一郎さんの「現代経済学の直観的理解」と「世界史の構造的理解」。2冊の書籍を友人に勧められたのがきっかけで、何となく違和感の正体が見えてきた。

ぼくの違和感の正体は、一言で言うと欲の貧しさだ。

長沼さんの書籍の解説はしないけど、短期的欲求だけだと快楽カプセルってもの(副作用無しで脳内だけ幸せ状態)が発明されたら終わりってこと。今のぼくが2024年に農業を営んでいて、いずれ寿命がくる。映画、リメンバー・ミーでは世界で忘れられると二度目の死を迎え、消えてなくなる。つまり忘れられないよう、家族という単位で助け合って生きよう。家族がすでに存在していないけど先祖と共に生きること。先祖はぼくらの心の中に居るという作品だ。

少子高齢化の日本で、個人が核家族で生きるということ。そして病院でほとんどの日本人が亡くなるということ。世代間格差が煽られているということ。そんな時代に生きている。リメンバー・ミーの世界だったら、有名人にならなければ二度目の死がすぐに訪れてしまう。だから必死にフォロワーを増やさねばならない。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。的な。社会が河だとしたら、ぼくらは水滴で泡沫で消えてなくなる。

どうせなら大きな欲を持ちたい。大きな夢と言ってもいい。どうせ移り変わりが激しい変化の時代なら、出来るだけ遠く、1000年後に文化を投げた人が勝ち!みたいなゲームにしたらいいんじゃないかと思う。

ぼくが営農しているフィールドは荒野とは程遠い、緑溢れる場所で、東京も近く、ガソリンスタンドもドラッグストアもコンビニも近所にある。

昔は炭焼きの森。そして戦後に開拓されたが、耕作放棄された土地。ポツポツ別荘がある南アルプスの麓だ。荒野ではぼくにとってもハードモードすぎるので、ここからゲームスタート。「むら」をつくる!その「むら」ではゼロ点から長期的欲求を持った「なんちゃってDAO的農業」だ。つづく。

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