近づくゼレンスキー大統領の「悪夢の選択」 ウクライナ戦争の潮目が変わった
名越健郎(拓殖大学特任教授)
開戦から1年8カ月を経たウクライナ戦争は、ここへきて潮目が変わってきたようだ。戦況の膠着でウクライナ側が苦境に陥ったのに対し、長期戦に持ち込んだロシアが優位に立つ構図だ。
ウクライナ軍が6月に開始した反転攻勢が不調に終わったことや、イスラエル軍とハマスの大規模戦闘で米国のウクライナへの関心が低下し、軍事援助継続が不透明になった背景もある。
欧米諸国がウクライナに対し、ロシアとの和平交渉を打診したとの報道も流れた。ウクライナのゼレンスキー大統領は徹底抗戦の構えだが、政権内に不協和音もみられる。
現状では、今後の展開はロシアの思惑通りに進みかねない。
▽総司令官が戦況の膠着認める
11月に入って、気になる情報が相次いでいる。
ウクライナのザルジニ総司令官は英誌「エコノミスト」(11月1日)とのインタビューと寄稿で、ウクライナ軍が6月の反転攻勢から5カ月を経て、南部ジャボリージャ州などで17キロしか前進できていないとし、「われわれは膠着状態に追い込まれつつある」「これを打破するには大規模な技術的飛躍が必要だが、おそらく突破口はないだろう」などと語った。軍高官が膠着状態を公然と認めたのは初めて。
総司令官は、「北大西洋条約機構(NATO)やわれわれの目論見では、4カ月でクリミアに到達できるはずだったが、ロシアが構築した地雷原に足踏みし、西側から提供された兵器がロシアの大砲や無人機に打ちのめされた」と指摘。指揮官らの交代もうまくいかず、ロシアが新規部隊を投入し、前進していると苦戦を認めた。
ロシア軍はクリミアを含め、ウクライナ領土の約20%を支配しているが、反転攻勢で奪還した領土はその0・3%どまりという報道もあった。ザルジニ総司令官は、塹壕戦が長期化すれば、国家が疲弊してしまうと述べ、兵員不足に直面していることも認めた。
▽政権内の「不都合な真実」
米誌「タイム」(10月30日号)は、ゼレンスキー政権の内幕を報道し、「ゼレンスキー大統領は肉体的な疲労からか精神的に疲弊し、メシア的な妄想と精神病的な第三次世界大戦の恐怖を煽っている」と指摘。「ウクライナはロシアとの消耗戦に敗れつつあり、大統領の命令に従わない部隊も出ている」とする政府筋の話を伝えた。
同誌はさらに、戦況の膠着や国内の汚職、イスラエル・ハマス戦争が、大統領と支援者たちの離間を招いているとし、政権内の不協和音を伝えた。大統領側近の一人は、「米国や同盟諸国が公約したすべての兵器を提供したとしても、われわれにはそれを使用する兵士がいない」と打ち明けたという。ウクライナ軍は高齢兵士の召集をせざるを得ず、現在の軍部隊の平均年齢は約43歳まで高齢化しているという。
「タイム」誌は昨年末、国内と軍をまとめてロシア軍への勇敢な抵抗を指揮したゼレンスキー大統領を2022年の「マン・オブ・ザ・イヤー」(年男)に選出したが、カバーストーリーを書いた同じ筆者が今回、ウクライナの「不都合な真実」を詳述した。
▽欧米が和平交渉を打診
こうした中で、米NBCニュースは11月3日、欧米諸国がウクライナ政府に対し、ロシアとの和平交渉を検討するよう持ち掛けたと報じた。
NBCによれば、これは10月に開かれたウクライナ支援国会合の場で協議された。戦況の膠着やウクライナの兵員不足、中東の軍事衝突、欧米諸国の支援疲れを背景に、欧米側が提案したとされる。
米当局者によれば、バイデン政権はウクライナが兵力を使い果たしているのに対し、ロシアは無限に兵力を供給しているかにみえる状況を懸念しているという。
米当局者はまた、イスラエルとハマスの戦争でウクライナへの追加援助の確保が困難になっていることを認めた。
ウクライナ側との協議では、ウクライナが和平協定でどのような譲歩をするかが話し合われた。欧米側はNATOがウクライナの安全を保証し、ロシアの再侵攻を阻止する構想も説明したという。
▽長期戦はロシアに有利
一連の西側報道は、ロシアの国営・政府系メディアが転電し、ウクライナの苦境を大きく報じている。
これに対し、軍最高司令官のゼレンスキー大統領は11月4日の記者会見で、「戦況は膠着状態ではない」とザルジニ司令官の戦況分析を否定し、交渉を拒否。大統領府高官は「前線の状況や今後の選択肢について、軍高官が報道機関に話すべきではない」と批判した。
ただ、ザルジニ司令官は「戦闘機で制空権を確保し、技術的能力を向上させて砲撃の効果を高めれば、行き詰まりは打開できる」とも述べており、発言は欧米の支援を急がせる狙いともとれる。
とはいえ、プーチン大統領が「ウクライナの反転攻勢は完全に失敗した」と豪語するように、期待外れに終わったことは間違いない。
ロシア側は昨年秋以降の部分動員と志願兵募集で、推定60万人の新規兵力を確保。国防予算の大幅増で国内軍需産業も兵器や弾薬をフル生産している。
米紙「ニューヨーク・タイムズ」(11月2日)も、「ウクライナはロシアの防衛線を突破することができず、戦況を打開する武器もほとんど残っていない」と苦境を伝えた。
▽プーチン後に再奪還も
ウクライナ軍は昨年、すさまじい反撃能力を発揮し、首都キーウなどを包囲したロシア軍を撃退したが、今年に入って戦況は膠着状態に陥り、疲弊が目立つようになった。
ゼレンスキー政権に反旗を翻したアレストビッチ元大統領補佐官が、次回大統領選に出馬すると表明したことも、政権内の亀裂の表れだろう。
長期戦になれば、ロシアが圧倒的に有利であり、戦況の新展開の中で、ゼレンスキー政権はロシアとの停戦交渉という苦渋の決断をいずれ迫られる可能性がある。
その場合、ロシアはクリミア半島と東部・南部4州のロシア併合を認めるよう迫るだろう。領土完全奪還まで戦うとしてきたゼレンスキー大統領にとって、政治生命を問われる決断となる。
一方的に侵略戦争を仕掛けた側が、領土を奪って停戦に持ち込むことは、現在の国際法や国際秩序では許しがたい事態であり、国際社会に重大な打撃となる。
一方で、ウクライナの国家と民族の存続のためには、いったん譲歩して時間を稼ぎ、プーチン政権崩壊後に国際圧力とロシア国民の公正な信義を信頼し、領土を奪還することも決して不可能ではない。
ゼレンスキー大統領の「悪夢の選択」が近づいてくるかもしれない。