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アメリカ会計基準の歴史 はじめに

 監査済み財務諸表の公表を資本市場と直接リンクさせたのは、アメリカ合衆国(以下ではアメリカと略す)です。元々、財務諸表は、資金拠出者に対する会計責任に基づき、資金拠出者に提供されていました。そして、会計士は帳簿記録に基づき財務諸表を監査していました。
 1929年のニューヨーク証券取引所における株式大暴落の再発防止策として、上場企業の財務諸表に公認会計士による監査が義務付けられました。当監査は、公表された会計基準に準拠しているかどうかを監査する財務諸表監査でした。そうした会計基準としてアメリカ会計基準の歴史が始まりました。
 当初、アメリカ会計基準には、アメリカ会計学会(AAA)によるものとアメリカ公認会計士協会(AICPA)によるものの2つの系統がありました。前者は理論的な基準であり、後者は実務的な基準でした。
 前者は、1936年に会計原則試案として具体化し、その後、1941年と1957年に改定版が出されました。そして、これらの系譜とは異質のものとして基礎的会計理論(ASOBAT)が1966年に公表されました。1977年には、ASOBATの改訂版として要請された報告書は、さらに異質の会計理論及び理論承認として公表され、AAAの会計基準試案としては、ASOBATが最後のものとなりました。しかし、アメリカ会計学会の会計基準の系譜は、結果として、FASBの概念ステートメントに引き継がれました。
 一方、後者は、アメリカ公認会計士協会(AICPA)内に設けられた会計手続委員会(CAP)による実務指針として具体化し、その後、同じくAICPA内の会計原則審議会(APB)に引き継がれました。しかし、会計基準が公認会計士によって作成されていること自体が批判されるようになりました。その結果、今日の財務会計基準審議会(FASB)が1976年に設立され、会計基準の設定という任務が引き継がれました。

川口順一訳1973『アメリカ公認会計士協会 企業会計原則』同文舘。
――――訳1976『財務諸表の目的』同文舘。
中島省吾訳1964『増訂 A.A.A.会計原則』中央経済社。

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