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ポーランド・グダニスク(その2)<旅日記第39回 Nov.1995>
えっ?なに? “Lo~ooo~oooo~ng die eeeee”
「ロ~~~ング・ダイ~~」。
ユースホステルの隣のベッドで目を覚ましたタスマニアン男は、ベッドの上で長~いおたけびを上げた。
長いという意味の「Long」をほんとに長く伸ばし、「die(死ぬ)」と言った。
「???」。
もしかして、「Long day」のタスマニア訛り?
そうか、きょうは退屈な日なのだ。困った、困った。何もすることがない。
かれは朝起きてもその日の深夜まで何もすることがないのだ。
わたしは昼過ぎの列車でワルシャワに帰る。けれど、かれは一人で夜遅くまで時間をつぶさなければならない。かれの乗るドイツ行き列車は深夜に出る。それまでホテルで寝ていればいいが、みんな貧乏な旅行だからそんな贅沢はできない。この寒くて暗いグダニスクで何をして過ごせばいいか、それがわたしだったとしても、きょうは長すぎる一日だと「ロ~~~ング・ダイ~~」と叫び、ぼやくかもしれない。
この街ですることはない。寒いから出歩くのも嫌だ。
この前夜は、とてもよい大衆食堂に行けた!!
けれど、昨夜というか、西側の国では夕方の午後6時半ころ~チェコやポーランドではこんなに早い時間でも外は深夜のように静かだった~は、タスマニアンと2人、偶然、とてもいい大衆食堂に飛び込むことができた。
狭く、テーブルが3つぐらい。そのうちの一つは大型で、男たち(おじさんたち)5~6人が、ビールや食事を前に、にぎやかにやっていた。その中に、わたしたち言葉のわからない2人がドアを開けた。なんだかわからないけど、みんな温かく歓迎してくれ、われわれに興味津津。給仕してくれるのは一人で切り盛りしている40代ぐらいの女性。注文を取りに来てもメニューもないし、おじさんたちがおいしそうに食べている肉のシチューを指差して頼むしかない。ポーランドではよくそうした。
同じ店で同じものを食べ、同じビールを飲めば、もうみんな仲間だ。言葉はわからないけど、愉快だ。いつもこれだけは持っている、わたしのキャノンのメードインジャパン最新・最高プロ機種一眼レフを出して、撮っていいかい?サインを送る。もちろん、構わないさ。
こんなときよく尋ねられるのは、「お前はプロか?」。写真家ではないが、新聞記者だったからいつもカメラは手離せないみたいなことを言ったと思う。
外は思いっきり寒いから、窓ガラスは曇っている。ポーランドではみんなとワイワイやっている思い出ばかりだ。特に何を見たみたいな記憶は 皆無だ。ほんとうはもっとちゃんとした文章を書こうと思えば、撮影済みフィルムを順番に見ればよい。写っている一コマ、一コマを順に眺めれば、遠い記憶がよみがえり、おじさんたちが登場してきそうだ。
みんなに笑顔で手を振られ、店を去る。楽しさの余韻だけ残して、静かな道をホテルまで歩く。
かれには悪いが、わたしはお昼に駅に向かう。
「ロ~~~ング・ダイ」な一日、わたしだけ昼に駅に向かう。
ホームで汽車を待っていると、とてもふっくらした鳩が寄ってくる。空気が冷たいから空気を羽の間に貯め込んで体を温めているのだ。ホームからグダニスクの造船所が見える。わたしが見たかったのはこれだけだ。しかし、いい人とはたくさん出会えた。
(1995年11月3日~4日)
てらこや新聞123号 2015年 07月 08日