<旅日記 Sep.1995>ホーチミン番外編⑤(ベトナム)
わたしの1995年の「旅日記」は、松阪の塾「寺子屋かめい」さん発行のニュースレター『てらこや新聞』に2012年から60数回にわたって連載(いまはアジアからヨーロッパに飛び、イギリスまで進行中)をさせていただいた記事が中心だ。掲載していないものは、番外編という形にしている。
写真は紙焼きもデジタル化もしていなかったため紙面にはなく、塾のスタッフの方の手で適当に挿絵を入れてもらっている。200本あるフィルムは現像後は25年間倉庫に眠っていたものがほとんど。作品としてはたいした出来ではないが、新聞社を辞めてまで出掛けた旅の記憶と記録である。いまのうちに整理し、noteというサイトに載せていけばという、妻の勧めもあり、大阪の業者の方にデジタル化をお願いした。新型コロナウイルス感染症の広がりで外出しにくかった時期だ。そうして、旅の順に少しずつ、お披露目することになった。寺子屋さんには、写真にこれまでの連載記事をつけてnoteのほうに掲載させてほしいとお断りはしてある。
ポジのカラーのほうの写真はライトボックス上からのぞき見ることはしていたが、モノクロのネガは紙焼きしない限り写っている世界はイメージしかねていた。1995年に撮って以来初めて見るものがほとんどである。
「別の世界に来た」と思ったベトナム
まだヨーロッパやアメリカのほうの写真は見ていないが、アジアのほうは心が弾む。撮ったときのことをはっきりと覚えているものもあれば、まったく覚えていないものが多い。わたしにとっては「別の世界(違う時代の国)に来た」と街に一歩出てみて思ったベトナムにわたしは興奮した。日本の暑い夏を3か月過ごし、赤道直下の熱いアジアで4か月目の夏、体の熱っぽさがとれず、ペナンでは小さな診療所のインド系のご年配の女性医師に、わずかなお金で診察を受けたりしていた。ところが、ベトナムに入ると思いのほか涼しく救われた。リフレッシュした頭と元気が蘇ったからだで、ホーチミンのエネルギーを存分に吸収することができた。
(ホーチミンで出会った日本人大学生)
今回、noteに掲載することになったのを機に、あらためて、連載記事を読み返している。読んでいて思うのは、いまだったら覚えていないこっとが多い。旅から15年ぐらいめの2012年に書き始めたものだが、そのころはこんなによく覚えていたのか。それから10年たったいまでは思い出せないエピソードが多い。寺子屋さんのほうに書いたから安心してしまう、忘れたのかもしれない。が、いずれにせしても、寺子屋さんが、紙面を定期的に貸していただいたので、残すことができていた。あらためて、感謝です。
ただ、申し訳ないが、わたしの写真はうまくない。頑張ったつもりだが、見ていただいた通りの出来栄えだ。
次回からは、しばしバンコクで過ごし、マレー鉄道で南下する旅へ!
最後に残ったベトナムの写真を番外で載せたら、タイからマレー鉄道に乗り、アジアの起点となったシンガポールに戻る。アジアには1か月。一気に秋のヨーロッパに飛ぶ。中国から西域鉄道でヨーロッパに行けないかと考えたこともあったが、長い日数、列車の中でエネルギーを費やしたり、安全上の状況が把握できていなかったので、まだ見ぬヨーロッパを体感したいという夢を優先したからだ。
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