見出し画像

<旅日記⑨ Sep.1995>高原の避暑地Dalat(1)(ベトナム国内旅編)

旅行手配してくれるカフェ

1995年当時、社会主義国ベトナムにあって、一番にぎやかな大都会・ホーチミン・シティー(旧・サイゴン)には、旅する外国人にとても便利な旅のコンビニエンス・ストアとでも言うべき“旅行斡旋カフェ”がいくつかあった。

画像1

サイゴン・カフェとか、キム・カフェなどで、コーヒーやビール、食事をメインにしつつ、各種ツアーを案内するチラシが店中に掲示してあり、気に入ったツアーなどをその場で予約してチケットを手配することができた。便利なところへは、バックパッカー中心だが世界各国の旅人がやってくるので、一緒にコーヒーやビールを飲んだりしながら、会話も弾み情報交換をするなど、とても居心地の良い、旅のオアシスのような場となっていた。

わたしは、現地ではできるだけ鉄道の旅をしたかったので、南のホーチミンから北のハノイまでベトナムを縦断する鉄道の旅を考えた。しかし、店の人は飛行機にしたほうがよいと言った。なぜなら、ベトナムの鉄道は「とても遅くて、とても時間がかかるから」。速度は時速20〜30キロであると、聞いた。

あとで英語の旅ガイドブック『lonely planet Vietnam』を見ると、ホーチミン・ハノイ間は1,726キロの距離があり、最速のエキスプレスで36時間、最も遅いエキスプレスで44時間。平均速度は時速39キロとあった。そりゃあ、遅い!

ガイド・宿泊付き1泊2泊 17ドルツアー

サイゴン・カフェとか、キム・カフェといった有名店ではないところへも足を運ぶうち興味を持ったのが、ベトナム中央部の高原地帯にあるDalatという町だ。ホーチミンから北東に延びる山岳地帯をミニバスで走る約300キロの道のりだ。

画像2

Dalatは標高1400メートルほどの高原で涼しく湖や森林が美しいといい、フランス植民地時代には宗主国が避暑地として開発したということだ。人の多い都会の喧噪から脱出し、この国の田舎と自然を見てみたいと思い、1泊2日のツアーを申し込んだ。ツアー代は交通費・ホテル・食費と、英語のできるガイドさんの 同行費(ガイド・交通費・宿泊費込み)を含めても、17ドルと格安だ。


いまはどうか知らないが、社会主義にある程度の自由化を採り入れたばかりの17年前のベトナムでは、一人、田舎に旅するのは交通インフラ、言語等々において困難を感じた。こうした中、ツアーに参加すると安心と利便性を買うことができた。何よりも、ガイドという存在は大きい。ベトナム語と英語との通訳、乗り合いのミニバスなど交通手段の確保、現地のホテルの確保など、諸事情のわからない外国人にとってはナビゲーターとして欠かせない存在だ。

画像4

出発の朝、集合地点に出向いてみると、そこにいたのはカフェにいた、20歳前後の女子従業員だった。彼女がガイドで、客はわたし一人。わずか17ドルの1泊2日の旅で、ガイド付きというのは条件として恵まれすぎている。たまたま、彼女の親兄弟のいる家はDalatにあり、カフェの女主人(社長)が一時帰省がてら彼女をガイドに仕立て上げたのだった。行き先に実家があるから宿泊代も浮くというわけだ。乗り込んだのはベトナム人9人の乗ったミニバスというかミニバン。

画像9

ツアー用ではなく、日常用の乗り合いバスだ。わたしには、運転席のヨコで二人分の席に一人で座るよう指示を受けた。ガイドさんと二人が3人掛けのシートを二人が占領するかたちだ。後ろを見ると、乗客のベトナム人たちが 一人掛けのシートに3人のお尻が割って入るぐらい窮屈そうだ。こうなると、 自分だけ、ゆったりと広々としたシートを独占しているのはむしろ肩身が狭い。このことをガイドに話すと、外国人は外国人料金として別料金を払うのが決まりなのだという。その分、余分に座席が与えられるというのだ。

画像6

片道4時間半ぐらい、ぶっ飛ばす。道路に人がいようが、自転車、バイクの群れがあろうが速度は緩めず、「通るぞ、通るぞ、どけよ、どけよ」っと、クラクションを押さえた状態で鳴らしっぱなしで駆け抜けていくのが ベトナム流の運転術。「ビーー、ビーー」というけたたましいクラクションの音が静まっていることはない。


牛が道路脇に寝そべった農村の風景、濃霧に包まれた峠道。曲がりくねった山の上りで、霧の中にかすかに見えてきたのは、少年が追う牛の群。水田ばかり広がる平地は退屈だが、山岳地帯の風景には飽きることがない。もちろん、こうした車窓の風景に心を弾ませているのはわたしだけで、他の乗客たちは押し黙ったままだ。

ガイドの女性は学校で英語を学んでいて、海外の諸事情も知りたいという知的好奇心を持っていた。コミュニケーションをはかるのにまったく問題がなかった。ただ、わたしが、飲み干して空になったミネラルウオーターのペットボトルを持っていると、「捨てる?」と聞くから渡すと、窓を開けてポイッと外へ放り投げられてしまったのにはたまげた。まあ、郷にいれば郷に従う、か。驚くのは先進国にいるわたしたちの常識であって、もしかすると、ベトナムの田舎であれば、だれかが空ボトルを拾って再利用するにちがいないと思い直した。かりにそうであれば有効利用されることになる。

画像8

スピード違反の観念すらなさそうなミニバス旅行。Dalat到着後の彼女の第一声。「きょうの運転手は運転がうまかった。だって、スピードが出ていたでしょ。片道4時間半よ。前なんか6時間ぐらいかかったもの」と、平然と言ってのける。センターラインの無い道での猛速度での対向など、わたしにはスリリングすぎたけど。(1995年9月20日〜21日)

画像9

(つづく)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?