バッハラッハ(ドイツ)<旅日記第45回 Nov.1995>
「バッハラッハ」。ドイツ人の発音は、日本人には「バハハ」と聞こえるというその町の名前の由来は、酒の神さま「バッカス」という。ワインを造る葡萄畑に囲まれ、春や夏なら、白い壁をクロスする木組みのある家々の街並みと、家の軒を飾る花の赤と緑と青空のコントラストが鮮やかなことだろう。
ライン川沿いの小さな城下町
この小さな城下町へは、フランクフルトからライン河づたいにケルンへ向かう途中に立ち寄ってみようと思った。夏場なら街のレストランのオープンテラスのテーブルでワインやビールを楽しむ観光客の姿でにぎわっているだろうが、この時期に開いているのは薬局ぐらいだった。
街の上の古城ホテル
この日の宿は、駅前から続く坂道の上の丘にある。この街のどこからでも見上げる場所にある12世紀に建てられた古城だ。このお城が、ユースホステルとなっている。
古城ホテルと言えば高級ホテルという印象を受けるが、ユースホステルとして使われているから価格はお手頃である。朝と夕食付きで1500円ぐらいだったはずだ。夏ならきっと満員となりそうなロケーションだ。
が、11月ともなれば訪れる人は少ないようで、予約無しで泊まることができた。お城(部屋)の小窓からはライン河を見おろせる。季節はずれとはいえ古城に宿泊できるとはなんとも贅沢だ。
まるで家族同士のように夕食とったひと時
夕食は、お城の中のダイニングでいただける。フロアも壁も、そんなに高くない天井もすべて石。ほどよい広さだが、いるのは50代~60代の夫婦一組だけだ。
「こんな広いところでさみしいから、こちらでいっしょに食事をしませんか」と誘っていただいた。
そのあと、体の細い若い女性が、離れたテーブルに一人席についた。「よかったら、あなたもこちらへ」という言葉で4人が同じテーブルに座った。
一人旅でいつも一人でとる安上がりの食事が中心だったが、この日ばかりは、お城の中で、この街の特産のブドウで造られた白ワインでちょっぴり豊かで、ぬくもりある人との語らいで久しぶりに笑顔になれる夕食となった。
山の上の古城の夜は、オーストラリア人夫婦とNYの若い女性と、私だけ
テーブルに誘ってくれたご夫婦はオーストラリアからの旅行者。若い女性は、出身地を聞かれると、「U.S」とだけ答えた。母国の名を「アメリカ」という人もいれば、「ユーナイテッド・ステーツ」という人もいるだろうが、そっけなく「U.S」というあたりが都会的な乾きを感じる響きがあった。
「で、どこ?」とオーストラリア人ご夫婦。
「ニューヨーク」
「ニューヨーク・ステート、オア、ニューヨーク・シティ?」
「ニューヨーク・シティ」
「OH, NEW YORK CITY !」。
オーストラリア人夫婦とわたしが口をそろえて声を弾ませると、若い彼女もはにかんだような笑顔を見せた。
一人旅のアメリカ人を見るのは多くはなかった。ニューヨークから一人で旅してくる若い女性は初めてだった。それも季節外れのこんな田舎の古城で。広いお城の宿の今宵のお客はこの4人だけだった。
なんだか不思議だった、この山の上の古城(孤城)にいるのは、従業員をのぞけば一つのテーブルを囲っている4人だけ。急に家族になったかのような温かさに包まれた。
若く美しい女性と出会ったわたしたち3人は、まるで映画の中の女優さんと出会ったかのような驚きに声を合わせていた。BGMも、他のテーブルから聞こえてくる会話や笑い声もざわめきもない。外は、お城に吹き付ける風で寒いだろう。だが、中は暖かい雰囲気になった。広い地球の中の、都会の喧噪から取り残されたような、ドイツの片田舎にある山の上の古いお城の中で妙な連帯感をもって世界に輝く大都会からの旅人との出会いに、まるで珍しいものでも見たかのように盛り上がった。
部屋はそれぞれ離れたところにあった。部屋は、どこかしらさびしくて幽閉される気分もなきにもあらずだったが、色合いが暖色系で清潔感ある部屋で問題なしの夜だった。朝、部屋の小窓からのぞくと、落葉寸前の紅葉した葉っぱがわずかに残った木の枝の下に大河ライン河が流れていた。
わたしは、この城山にどうやって登ったかや、ふもとの城下町で何をしたのかは、薬を買いに行ったこと以外覚えていないのに、当時の手帳によれば、どういうわけかこのホテルに2泊もしている。
2日目の夜は、ニューヨーカーはおらず、わたしと、オーストラリア人のご夫婦の3人だけだった。このお城で一人にならないうちに、都会に戻ろう。
次は、日本人駐在員の多い大都市デュッセルドルフに泊まり、そこから近郊列車で行き来できるケルンや、旧西独の首都ボンを歩くことにしている。
(1995年11月8日〜10日)
てらこや新聞129号 2016年 01月 10日
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