<旅日記第25回 Oct.1995>泊まること(3) 湖畔の村、シャフベルク山、インスブルク(オーストリア)
一般の旅行ガイドには「ザルツブルク郊外」と総称される、湖畔に点在する小さな村々。
「きょうは、『ドレミの歌』の山に登るぞ」の朝は曇りだった。
「きょうは、『ドレミの歌』の山に登るぞ」と張り切った朝。
ミュージカル映画の傑作「サウンド・オブ・ミュージック」で家庭教師のマリアと子どもたちがピクニックに出掛けるシーンとして登場する登山鉄道に乗って山頂に行くのを楽しみにここまでやって来たが、その朝はいまにも雨が降ってきそうだった。
「大丈夫よ。山は雲の上だから青空よ!」
心配そうにしているわたしに、宿を切り盛りする、オーナーご夫妻の娘さんは、「大丈夫よ。山は雲の上だから青空よ!」。
確かに標高1783メートルあるシャフベルク山だが、「雲の上ってことはないわな。まあいいか」と出掛けてみることにした。煙をモクモク吐き出す小さな登山列車が力強く山の上に上っていくと山頂が見えてきた。
ほんとうに雲の上だった。
軌道の脇には急なトレイルだが、歩いて登っている人もたくさん見えてきた。当時のわたしは36歳という年齢だったため、逆に健康づくりには無頓着で、登山なんてまっぴらご免だった。
歩くことよりも、適当なカフェを見つけ、ビールを飲んでいたいというのが正直な気持ちだった。途中で下車して、カタチだけトレッキングする手もあったが、上半身裸になって汗をかいて登っているヨーロッパの人々といっしょに歩く気にはなれず、山頂まで乗車した。
登山列車で登る急斜面の上の頂の向こうは、断崖絶壁だった。すっかり天気は回復していた。 「サウンド・オブ・ミュージック」のマリアが草地に腰をおろしてつま弾くギターで、子どもたちが「ドレミ」を歌う名シーンを思い出す。
下山は歩いた。だんだん深い森となってきて、どこへ出るかわからず不安になってきたが、午後の遅い時間までかかってふもとに到着した。畑の中にある家の庭の大テーブルを囲んでいる人々。
宿の前の湖まで来ると、オーナーの娘さんが友人たちと湖畔で白ワインを楽しんでいた。
素敵な情景だ。
湖の向こうのユースホステルに船で移動
もう一泊ここに泊まりたい。とっても良い部屋だけど、一泊3000円のところに連泊はできない。湖を船で渡ったところにユースホステルがあると書いてあったのでそちらに移動することにした。
名残惜しい。今度来るときはゆっくりとするからーーと自分に言い聞かせ、船に乗った。
ユースホステルのフロントで、宿泊は2段ベッドの上のほうを割り当てられた。ベッドに腰掛けていると、下のベッドにお客が来た。
握手して自己紹介。Mattewというイギリス人の青年だ。
3か月間、会社から休みをとり、チェコ、オーストリア、ドイツを旅したあと、エジプトを訪れて帰国するのだという。旅は道連れということで、オーストリア西端の都市インスブルクと、南ドイツのミュンヘンまでいっしょに行くことにした。
Mattewは、シェークスピア生家のある街に近いイングランド南西部の出身だ。「12月には帰るのでそのころイギリスに来るようだったら泊まっていけよ。街を案内するから」。そんな話もして、実際、実現した。わたしが日本に帰ってからは、松阪にまで訪ねてきてくれ、わたしの家に1週間泊まっていった。
カメラは、ウィーンのキャノンに入院
しかし、ドイツへは行き損ねてしまった。
ビールに酔った状態でカメラのフィルムを交換しようとして、カメラのシャッター幕という部分を指で突いてしまうヘマをやらかし、ウィーンに引き返し、Canonのサービスセンターに出向くことになったためだ。
わたしの語学力では心もとないので、ウィーンのCanon との電話でのやりとりはMattewに頼んだ。カメラは1週間は入院させなければならないという。仕方ない。急ぐ旅ではないから、ウィーンをもう少し深く見ることにしよう。 (1995年10月15~17日)
「てらこや新聞」108号 2014年 04月 13日