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<旅日記 第24回 Oct.1995>泊まること(2) ザルツブルク、そして、ザンクト・ヴォルフガング(オーストリア)

 ザルツブルクの宿は、街ごと世界遺産の旧市街とは川を隔てた、新市街の古びたビルのような家の2階だ。

新市街の宿は、そのまま物置になるような部屋

 狭い階段を上がると、ちょっと大きな体のおばさんが出てきた。

 部屋を見せてほしいと尋ねると、鍵をじゃらじゃらと取り出し、「ほら、ここよ」という感じでそっけなく扉を開け放った。

 窓はあるが、机と鏡、洗面台、片隅に置かれた古いシングルベッド。そのまま、物置になってしまいそうな部屋だ。

 世界にも名高い観光都市ザルツブルクにあってこの部屋はと思うが、まだまだ旅は続くのだから、シングルルームをとること自体がゼイタクというものだ。

 タイのバンコクで泊まった、隣とはベニヤ板一枚で仕切られ、夜中の激しい雨音に目覚めた一泊250円の部屋と比べれば、ここは天国にちがいないはずだと思うことにしよう。まだ昼間なのだから街めぐりに出ることにしよう。

モーツァルトの家のある旧市街はコンパクトにまとまっている。けれど、モーツァルトよりも、小高い山の上にある城塞に上りたい。

 ふもとに旧市街と新市街を分かつ川が流れている。街の周囲を囲う山々と空を包む透明な空気感のほうに圧倒された。

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 午後の西日であるにもかかわらず、空気が白むことなく、透明なブルーのカーテンが山にかかったような印象だ。山岳の国オーストリアの魅力だ。アルムの山は隣国にあるのかどうかは知らないが、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の主人公一家はナチス・ドイツの追っ手から逃れるため、山を越えてスイスに入ったではないか。

GO TO「ドレミの山」(サウンド・オブ・ミュージック)

 観光パンフレットをぱらぱら見ていたら、「サウンド・オブ・ミュージック」のマリアと、大佐の子どもたちが蒸気の登山列車で登った山が紹介されていた。

 鉄道を2度乗り換え、さらにバスに乗り継ぎ、最後は湖を遊覧船で渡らなければならないが、行ってみよう。あいにくの曇り空だったが、こんな天気ならなおさら、いまの宿泊先のホテルからオサラバしたい。

 2泊した翌朝、鉄道で出掛けた。

ザルツブルク郊外の湖の景勝地ザツカンマーガント

 途中で雨まで降ってきた。濃霧でなにも見えない。

 が、運命の扉は突然開いた。いきなり、車窓の向こうに美しく蒼き湖と青い山と青い空に囲われた緑の自然が、まるでいまとれたてのように、日差しにキラキラ輝いていた。雨雲が、さっと消え去ったのだ。一瞬に起きたマジックに感動した。

 知らない小さな、湖畔の村であてはないけどバスを待つ。

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 村の中心で路線バスを待った。行きたいところに行くバスが来るのか、ややこころもとなく。
 小学校低学年ぐらいの少年が一人いた。

 英語で少し話し掛けた。

 別れ際にドイツ語でサヨナラを言うと、英語で「えっ? ドイツ語もできるの?」と輝く笑顔で驚いてくれた。これぐらいしか知らないのだけれども、楽しく時間を過ごせた。

ザンクト・ヴォルガングのホテル

 空と湖と山の色とが区分しがたいほどの透明な青の空気感の中を船で渡り、夕方近く、目的の湖畔の村、ザンクト・ヴォルガングに着いた。

 10月も中旬に差しかかった時期であったため、このあたりではシーズンオフとなりつつあった。営業していない宿が多く、心配になったが、一軒、「いいわよ」と言ってくれた。

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 山小屋風のログハウス。一階はレストランで、二階がゲストハウスとなっているらしい。造りとオーナーの雰囲気に申し分はない。一泊3000円ぐらいで、この旅を始めてからおよそ40日の中で一番高かったが、背に腹は替えられない。それにたまにはちょっとゼイタクな気分を味わいたかった。

部屋に入って驚嘆した。

 丸太むき出しのログが落ち着いた雰囲気だし、広い。大きなダブルベッド。調度品、小物も洗練されている。ベランダに出ると、目の前に湖が広がっていた。お風呂には洗面台のある脱衣所が付き、ゆったりサイズの浴槽。

 この旅が始まって以来、およそ40日、アジアでは水のシャワー、ヨーロッパではぬるい湯のシャワーという日々だった。

 浴槽の湯船に浸かれるなんて、こんなうれしいことはなかった。これで3000円。日本ならこの10倍はしそうだ。

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 映画 「サウンド・オブ・ミュージック」の山に駆け上る蒸気機の登山列車の乗り場は、ここから歩いて100メートルほどのところだ。

 この旅のあいだ、あとにも先にもここ以上のホテルはなかった。部屋のテーブルには、「ようこそ、ここは、わたしたち夫婦の娘が営むホテルです」と書かれた、老夫婦の笑顔の写真入りのメッセージカードがあった。心づくしのもてなしだった。 (つづく)

(1995年10月11日~13日)

「てらこや新聞」107号 2014年 03月 02日


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