チェコの温泉街 <旅日記 第30回 Oct.1995>
長い旅の疲れもある。ガイドブックに「温泉」という言葉を見つければ、つい、そこに足を伸ばしてみたくなる。やっぱり日本人なんだ。オーストリアの田舎町では「spa」という看板につられ、温泉と勘違いして入ってみたらそこは銀行だったというヘマもやった。銀行窓口の女性は珍客に温かい 笑みを返してくれた。
チェコ北西部のカルロヴィ・ヴァリ(Karlovy vary)
ドイツ国境に近い、チェコ北西部のカルロヴィ・ヴァリ(Karlovy vary)という温泉地は、名前自体が皇帝っぽいが、かつては神聖ローマ帝国皇帝の保養地として知られたという。温泉国チェコにあっても最大規模の温泉街であると、「地球の歩き方」というガイドブックには書いてあった。街のどこを歩いても湯煙漂う日本の温泉街をイメージしてバスを降りた。
「地球の歩き方」にはこう書いてあった。
『地球の歩き方』(1995/96年版)にはこう書いてある。
「テプラー川沿いにはペンションやホテル、レストランやカフェなどの、湯治客や観光客向けの施設が集中している。濃い緑の木々を背に建ち並ぶクラシックなホテル。見事に統一された雰囲気のこの街の美しさは、日本から来た私たちには、少々現実離れをしていると思えるほどだ。
ペンション街の中心にあるドヴォルジャーク公園の優雅さも目を見張るものがある。まぎれもなく、ここはヨーロッパなのだと感じることだろう。」
「この街はまるで時間がゆっくりと流れているようだ。人々は温泉水を飲み、温泉に浸かって散歩をし、日がな1日のんびりと過ごしている。たまにはこういう場所で、時間を忘れるのもいい」。
温泉を見つけるのは難しかったけれど・・・・。
当時の手帳にはこの街に2泊したとのメモがあるのだが、実際は1泊で切り上げたのではないか。街に対する印象も、スライドフィルムに写した宵の青っぽい空の色と白い石の建造物のある風景しか思い浮かばない。どんな宿に泊まったのかさえ不明だ。覚えているのは次に書くことだけだ。
温泉に浸かれるのはどこだろうと街の中を探したが、見つからなかったこと。案内を聞いて行ってみたが、そこには高齢者のリハビリのような介護者付きの特殊な浴場しかなかったこと。
あきらめかけたが、夜にもう一度行ってみると、だれでも入れる大浴場になっていた。
ついに、見つけた。そして、たじろぐ。
なるほど、そうだったのか、昼はリハビリ、夜は地元の人や観光客に温泉資源を開放しているのか、と理解した。
入口でお金を払うとロッカーの鍵とシーツのような薄い布を渡されて脱衣所へ。広い脱衣所では、洋服屋さんの試着室のようなところに入って衣類を脱ぎ、鍵をかけておく。裸になって浴場に入るわけだが、そこで戸惑った。
一瞬、入るところを間違えたかと思った。水着の女性の姿ばかり目に入ったからだ。そこへ入っていくのか。
次に、裸の男性たちの姿が見えたので、自分が間違えたわけではなかったのだ。日本の銭湯のような造りだ。違うのは湯船には男も女も一緒に入っていること。
しだいに慣れてくると、女の人でも水着着用の人とそうではない人とがいることがわかった。傾向としては水着を付けていないのは若い女性に多い。男は若い者もオジサンたちもみんな裸だ。
裸の人に共通することは、男も女も前を隠す習慣はまったくないことだった。首まで湯船に浸かり、周囲を観察した。
全裸で抱き合ってシャワーをしている若いカップルもいる。さっきまで着ていた水着を脱いで浴槽に入り、わたしのすぐ近くまで歩いてきて湯の隙間を埋めるように座った美女の容姿は鮮烈な記憶となっている。
ここの皆さん堂々としているように、わたしも湯船から立って出るときはさっそうと歩かなければと思った。それが自然というものだ。
日本人女性と会う。
翌朝、プラハに帰ろうと、バス停でバスを待った。英国の伝統銘柄であるバウアージャンパーをおしゃれに着こなした、20代半ばの日本人女性が一人で歩いてきた。
「温泉が有名ということでこの街に来たのですけど、温泉を見つけることはできませんでした。ありました?」と聞かれた。
この人と温泉で出くわすことなくて良かったと思った。カルチャーを同じくする者同士、あそこで出会っていたら、なんとなく気まずい思いをしたかもしれない気がしたからだ。
この街での出来事、そして、風景は、ここに書いた情景以外、すべてホワイトアウトしてしまったようだ。
(1995年10月24〜25日 )
「てらこや新聞」 113号 2014年 09月 17日