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【地歴日記 #1】 副部長、エジプトについて語る。

こんにちは!海城中高地歴研の副部長です。

先日、国立博物館の特別展『大英博物館 ミイラ展 古代エジプト6つの物語』に行ってきました。

館内は撮影禁止だったので、内容をここでお見せすることはできませんが、後日僕がエジプトのミイラやピラミッドについて調べたことをお伝えします。


それでは早速見ていきましょう!


ミイラについて


ミイラには、


①空気から遮断されるなどして、自然にミイラ化したもの。
②遺体を一定期間もしくは永遠に保存するために人の手によってミイラになったもの。

の二つのパターンが存在します。


エジプトでは、もともと砂漠に穴を掘って埋葬していましたが、1年を通してほぼ雨が降らないエジプトの気候により、そうした遺体の中で自然にミイラ化したものが出てきました。


それを偶然発見した人が生前に近い姿で保存された先祖を見て、「確実に死体を保存する方法」つまりミイラの作成方法を考え出したとされています。


ミイラの作成方法ですが、詳しい手段はここでは省き(いい図がないのと描写が若干グロくなるため)、僕が興味を持った「値段による作成方法の違い」について解説していきたいと思います。



その1 最高級ミイラの作り方

① 鼻腔から脳を取り出す。
② 脇腹を切開し、内臓を取り出す。(心臓はそのまま残す)
③ 香料とヤシ油で洗い清める
④ 天然ソーダに70日間漬ける。(日数には諸説あり)
⑤ 麻布の包帯を巻きつけ、護符や装身具をつける。
⑥ 何重もの人型棺に入れたあと、さらに石棺に入れる。
⑦ 厨子(箱)に入れる。

主に王族のミイラはこのように作られたようです。


その2 中等のミイラの作り方

① 油を肛門から注入する。
② そのまま天然ソーダに70日間漬ける。
③ 注入した油を抜きとる時に、溶解した内臓も同時に排出する。

最高級品に比べるとだいぶ簡略化しています。


その3 下等のミイラの作り方

① 腸内を下剤で洗浄する。
② 70日間天然ソーダに漬ける。

もはや、ただの乾いた遺体です。




ちなみに、天然ソーダとは、炭酸ナトリウムを主成分とする液体(水和物)で、別名ナトロン

周囲から水分を吸収するが、非常ゆっくりと脱水するので、急激な脱水をしてはいけないミイラ作りの脱水には最適だったと言われています。



ピラミッドについて


古代エジプト=ピラミッド!というイメージがありますが、ピラミッドが作られた時期はとても短いです。



❶第1王朝・第2王朝 紀元前3100〜2700年頃(日本では縄文土器作って、ドングリ食べていた頃)
 エジプト王朝が成立したばかりの王墓は、地上にレンガを積み上げた施設を作った後、地下に穴を掘ってそこに装飾を施したり、葬祭を行ったりしていました。少し時代が進むと葬祭用の道具をしまう部屋などを作るために大型化しました。



❷第3王朝 紀元前2688〜2613年頃
 国土が安定し、王墓型式にも大きな変化が生じました。つまりピラミッドの誕生です。といってもいわゆる皆さんが思い浮かべるピラミッドとは少し形が違い、

ジョセル王のピラミッド

「ステップ・ピラミッド」と呼ばれる側面が階段状になっているピラミッドで、この「ジョセル王のピラミッド」が現存する唯一のステップ・ピラミッドです。

このピラミッドは古代エジプトの太陽信仰から誕生し、この形は王が天にのぼるための階段であるという解釈があります。



❸第4王朝 紀元前2613〜2489年
この時期にピラミッドは大きく修正されました。つまり、側面が二等辺三角形になり、底面が正方形のピラミッド。いわゆる皆さんが思い浮かべる「ピラミッド」になりました。

余談ですが、「大ピラミッド」というと、皆さんは大きいピラミッド全般を思い浮かべると思いますが、

実は「大ピラミッド」(英語だとグレート・ピラミッド)というと、たった1つエジプトにある「クフ王の墓」(クフ王の物なのか諸説ありますが)のことを指すのです。

大ピラミッド

高さ145m 重さ580万tの超巨大建造物であり、約50年前に「日本一のビル」としてできた霞ヶ関ビルとほぼ同じ高さです。

設計者は、「墓本体を覆うピラミッドが大きい方が墓泥棒(ミイラの副葬品などを盗む泥棒)から守ることができるのでは?」と考えましたが、全てのピラミッドは現在までに盗掘されており、埋葬されていたミイラの行方はいまだに不明です。

ですが、他の時代のピラミッドが崩れ落ちてしまって残っていない中、第4王朝のピラミッドは今日も古代エジプトの象徴として現存しています。



❹第5王朝・第6王朝 紀元前2498〜2185年
 太陽信仰が強まった時期であり、王たちは自身の墓よりも太陽神殿の建立を優先しなければならなくなりました。そのためこの頃のピラミッドは以前に比べて粗雑で、規模も小さくなっています。


❺第12王朝 紀元前1991〜1782年
 第7王朝から続いた混乱期により、ピラミッドはしばらく姿を消しますが、第12王朝で遷都(首都を変えること)したため、王墓は再びピラミッド型式になりました。しかし、第4王朝に比べると規模も小さく、レンガでつくったため(以前は岩)破損がひどく、原形をとどめているものは無いです。



❻第13王朝 紀元前1782〜1650年
 この時期に最後のピラミッドが作られたと言われています。そしてこの頃に他民族の侵攻をうけ、2回目の混乱期が始まります。



❼第18王朝 紀元前1570〜1293年
 第13王朝から続いた混乱期が終わりました。13王朝のトトメス1世は

「今までのピラミッドは、設計者がいかに工夫をこらしても盗掘されている。結局ピラミッドは墓に副葬されている財宝のありかを示しているだけだ!」

と、ようやく気づき墓を人里離れた秘密の岩場に埋めることにしました。

そしてこれより後の王たちもトトメス1世にならい、この秘密の岩場に自身の墓を作ることになります。その岩場が現在有名な「王家の谷」です



エジプト王朝は31王朝、2800年も続きますが、現存する大型のピラミッドが作られたのはそのうちの、1王朝120年ぐらいでした。




ということで、初めての「地歴日記」いかがでしたか?

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次回はこの度新しく就任した部長による「地歴研の今年のテーマ解説」です!

お楽しみに!


今回の参考文献
石田一良・川村喜一・関野雄・寺田和夫・穴沢和光『ミイラは語る』毎日新聞社1978
南山宏『大ピラミッドは宇宙からの遺産か?』岩崎書店2003

2つとも古い本だったのが玉に瑕。ですが、難しい内容を初心者にも分かるようにひとつひとつ解説してくれているいい本です!

神保町巡検で個人的に買ってきたやつです。