「あたりまえのことをしていけば あたりまえでなくなり やがて力となる」
神戸のBBプラザ美術館で開催されている2023年度企画展Ⅰ 堀尾貞治 あたりまえのこと 千点絵画へ。
276点の展示を一巡すると、ものすごくお腹が空いていることに気づいた。出がけに、トマトと卵のおでんを食べてきたというのに。
おこめがほしかった。すぐ向かいのほかほか弁当でのり弁大盛りを頼んで、4ヶ月ぶりのコカコーラで流しこむ。
展示に戻るか、迷う。戻りたくないともおもった。堀尾さんはすでに亡くなられているのだけれど、一つひとつにいのちを分け与えたような作品だった。鬼気迫る展示だったから。
戻った。
会場には一組の老夫婦がいて、男性が女性を撮影していたから、「お二人撮りましょうか」と声をかける。
「いいのよ、堀尾さんと2人で写ってるから」
そうだなあ、そうだなあ。
展示会場の入り口では2016年の制作風景が流れていて、堀尾さんはかなづちでキャンバスを叩いたかとおもうと、乾ききっていない絵の具をそれでなぞっていく。
「制作の方法や発想の転換を柔軟に考えていかないと」
いちまいめ、右手でサイン。にまいめ、左手で黒い丸を描く。映画ジョンウィックを見てるみたいだった。キアヌリーブスだってこんなになめらかに動けてなかったよ。
制作風景が3周目に入ったところで、ふたたび会場へ。指のあとをなぞっていく。
「人にみせるとかみてくれというもの度外視してしまうこと」
人に見せることを度外視してしまったのに、どうしてこんなにみせられるんだろう。
会場は、どこかお通夜のような空気をまとっていて、会場に長いこと座りながら、まわりを眺めているひと。なつかしむように、ときおり笑いごえを交えながら、会場をまわるひと。心なしか、会場で迎え入れるひとたちも、美術の展示スタッフというよりは、葬儀会場のスタッフといったふう。
そのなかに、2時間以上、ずっとかけて、いってんいってんを見るひとがいた。つくるひとの目だった。線をいっぽんいっぽんなめるように、目で描くように、眺めている。
閉館までの20分は、そのひとの目線をなぞっていた。なんだただ見てるだけじゃないか、なんて片付けることができなかった。いることは見ることだった。
時計はあっという間に17時になり、それだというのにすぐにスタッフのかたたちは声をかけなかった。できるだけ、見てほしいということが伝わってきた。
「すみません、今日はそろそろ閉めさせていただきたいです」
時間にすればほんの300秒、たった5分だけれど、いままで味わったなかでもっともながい5分だった。
会場を出ると、まだ外にはひとがいて、やがてスタッフなのか、観客なのかもあいまいになり、そこにはただ堀尾貞治さんがいるようにおもった。
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