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ブレブレの人生

こんにちは。かいほーです。

今回は今日に至るまでの自分について、まとめてきました。

この記事は

・「中途半端だなぁ。自分
・「前までは夢や目標を持ってたけど、今はやりたいことなんかないなぁ。

そんなことを感じながら日々お過ごしの方にお読みいただければ幸いです。是非お付き合いいただければと存じます。

最初に一言言わせてください。
自分自身、めちゃくちゃブレブレで中途半端な人生を送ってきました。おそらく学生時代の自分を知っている人は、「コイツめっちゃ中途半端じゃん!笑」と指差してバカにする人もいるかもしれません。
イラっときますよねぇ、、、「うるせぇ!俺はまだ本気出してねぇだけから!(小物感)」と言ってしまいそうです。少し前の自分だったら。

今は全くそんなことなく、むしろ「中途半端な方が人生楽しいよ?笑」くらい今の自分の人生について前向きになれました。

それでは、かいほーの軌跡(←格好つけんな)歩んできたブレブレな人生についてお伝えします。

・教師を目指していた学生時代
小学1年生から剣道を習っていた影響で、「剣道部の監督になって有名になりたい!」という夢を中学生頃からずっと持っていたので、高校は剣道の推薦で入学、浪人も経験して、勉強の楽しさを学ぶ事ができたので、より一層「学校の先生になりたい!」という気持ちが強くなり、大学は国文学を専攻し(国語が好きという理由ではなく、シンプルに試験倍率が低いからです笑)国語の教員を目指していました。当然、大学時代は体育会の部活に入っていました。あとは卒業までに単位の習得と教員採用試験に合格し、大学を卒業するだけです。まぁ普通に過ごすだけですね。順調に学校の先生への道を辿っていました。

・なぜか銀行員に
ここまで順調に教員ルートを辿っていた自分ですが、転機が訪れます。就活です。
「念の為」就活もしておこうと思ったかいほーは淡々と選考を進め、銀行員に内定。ここで教員と銀行員で悩んでしまいました。仮に教員になったとして、子供達に何を教えたいかを考えた時、何も教えられる事がなかったんですよね。剣道なんてみんなやるわけじゃないし、何なら国語だって勉強を教えるだけなら塾に就職すれば良くね?みたいな事を感じていたので、このまま教員になる事に何となく違和感があったんですよね。
なのでゴリゴリの日経企業である銀行で社会をしっかり学んでから先生になろう!という気持ちが日に日に強くなっていき、結果、教員の勉強を辞めて銀行員になりました(教員免許はちゃんと取りました!)。転職に有利な職業、とも聞いていたので、3〜5年勤めて、また教員採用試験を受ければいいやって感じです。これがブレブレの人生第一歩です。卒業して(ちゃんと教員免許も習得)いよいよ銀行員人生が始まります。

・辞める前提で働いてみた結果
結論から言います。しっかり3年で辞めました笑
入社当初は「しっかり勉強するぞ」とか「辞めるけどしっかり営業マンとして活躍するぞ」みたいな向上心はありましたが、やっぱり性に合わない仕事は長続きしませんでした。とはいえ、学べたことは沢山ありましたし、今でも個人的に仲良くしてくれる同期やお客さんは何人かいるくらいには楽しくやっていました。1年目から言葉遣いや態度、書類を作るマニュアル、厳しい上司とストレスを抱えつつも、何とか2年は続けられました。(1年目は本当にキツかったですが、同期と支えあったり、2年目になったら仕事にも慣れ、人間関係も良かったのでそれもあって続けられたのかな?という感じはします)しかし、3年目、法人営業担当になるとやはりノルマやガチガチなマニュアル、パワハラ上司との付き合い等でかなり精神的、肉体的にもキツかったです。
キツかった点は

・朝5時起き、6時には支店近くのカフェで仕事
・昼ごはんも食べる時間がない
・毎朝ノルマ未達で怒られる
・書類を回しては怒鳴られ「本当に君は仕事ができないね」などの余計な一言を食らう
・残業時間毎月80h超え(月末になると29h以下に減らすように調整される)
・土日も終わらない仕事(土日も仕事をしていたが当然、仕事時間とカウントはされない)を「自主的に」進める
・支店長からのパワハラ

こんな感じで、仕事場としては最悪だったので、銀行員として成長する前に「もーいいやっ」という感じで投げ出しました。これまでずっと体育会の世界で過ごしてきたので「諦めるな」とか「できるまでやれ!」という「根性論」がついに限界を迎えたんです。性に合わない仕事はするべきじゃないなとつくづく感じました。

・そして無職へ
結局銀行は3年で中途半端に辞め、8ヶ月間無職で過ごしました。一回全部リセットしよう。そんな気持ちでしたね。

ただ、働いていた時や、「教員になるぞ」という夢を持っていた頃よりかなり気持ちが楽でした。おそらく「銀行員として何か学ばなければいけない」「教員にならなければいけない」というプレッシャーが密かに心の中にあったんだと思います。プライドみたいなものですかね。余計なプライドのせいでかなり意地を張ってたと思います。(おそらく、無職になってバカにされることや「教員になるって言ったくせに結局会社員だし、仕事辞めてるじゃん!」みたいな目で見られるのが嫌だったのでしょう。中々辞めるまでに踏み出せずにいました。)

勇気を出して管理職に「辞めます」と一言かけただけでかなり気持ちが楽になったのを今でも覚えています。「引き継ぎどうしよう」とか「辞めるまでの1ヶ月気まずいな」とか、そんなことは本当にどうでも良く、「ああ、やっとこのつまらない仕事辞められるんだ」っていう感情が強かったです。

また、教員をやっている友達にも相談に乗ってもらいましたが、その友達に「先生になるのは色々経験してから最後になった方がいいよ。今の教師は世間を知らなすぎるから。」とアドバイスもくれたので、一層気持ちが楽になりましたね。

無職になって、旅行をしたり、友達と過ごしたりすることで、変な意地は知らないうちに消えたし、誰にも何も縛られない生活が本当に楽しいと感じるようになりました。1人旅行、友達の家で1ヶ月間居候したり、職業訓練校でWEBの知識を学んだりと色々な出会いと経験を経て、ようやく自分に合っている業界を見つけて「働きたい」と思えるようになりました。背伸びせず、ありのままの自分でいいんだと。

・10ヶ月近くの無職を経て、就職
こうして、10ヶ月近い無職期間を経て、自分のやりたいことを見つけて、WEB業界に入る事ができました。キツイことは沢山あるかもしれませんが、自分の作ったコンテンツをお客様に提供し、喜んでもらえるというやりがいのある仕事です。技術をもっと磨いて、早く一人前になれればと思います。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

こんな感じで、学生時代から今日に至るまでブレブレの人生ではありましたが、結局他人に何を言われようと「自分らしさ」を持って過ごすことが1番だと感じることができました。目標なんてなくてもいい。中途半端でいいと思います。転機というものは結局「縁」でしかないものなので、自分で勇気を持って行動するか、ひたすら待つかの2択になるんだなと思います。自分らしさを大切に、目の前の人生と向き合っていけば(勿論嫌なことから逃げ出すこともちゃんとした向き合い方だと思います!)、どんな形であれ自然に巡ってくる、そういうものなんだなと。
お読みいただいた皆様にもこうした「縁」に巡り会えればと思います。


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