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「アート・インクルージョン オンライン企画Vol.39を終えて③〜古生物たちがきっかけで、南三陸町へ〜」
「アート・インクルージョン オンライン企画Vol.39を終えて③〜古生物たちがきっかけで、南三陸町へ〜」
私はパネルを拝見して、
魚竜館のことが心配になりました。
というのも、私の場合、
斎藤報恩会自然史博物館が、
もう閉館していた、という事実を知ったとき、とても悲しかったんです。
2015年に完全に解散したらしい斎藤報恩会。
その自然史博物館にかわる化石展示もある大きな施設は、結局、建ちませんでした。
一度完全に閉館されれば、
縮小規模で移転はあったとしても、資金を貯めてまた新しく大きな化石施設を建てる、というのはなかなか難しいんだな、と。
なので、魚竜館というのを初めて知ったとはいえ、魚竜館には消えて欲しくない、斎藤報恩会自然史博物館みたいなことにはなってほしくない、そんな想いがあふれでてきました。
家に帰ったあとも、
このパネルのことが頭から離れず、アノマロカリスの雄勝石プレートの完成後、
再び標本館へ、パネルをじっくり読むべく、足を運びました。
そうして分かったことは、
多くの標本がレスキューされ、
修復後、ぶじ歌津へ戻り、一部の化石は展示を果たせた、ということ。
そして、魚竜館の再建は、
まだ叶っていない、ということでした。
魚竜館、再建してほしかった、と思いました。
……しかし、寄付金も持っていない
個人が出来ることには、限りがありますよね……。
でも私は、お金はないけど、
魚竜館の復活のために、なにか出来ないだろうか?と考えました。
結果、私は、1人では外出苦手でできないので、父に頼んで、
2018年11月16日、車で
南三陸町へ連れていって貰うことにしました。
訪れれば、なにかいい案が浮かぶかも知れない。
それにしても魚竜館は、なにか残っている建物の一部はあるのだろうか?
それとも、なにも残っていない状態なのか?
跡地でもよいから見たい……!
そういった思いで、南三陸町役場を訪れました。
三浦課長さん(当時)と、学芸会の大内さんが、まず、修復中の化石や
魚竜館にあったという、木の船、などの資料が保管されている、収蔵庫、を見学させてくださいました。
そして次に、魚竜館は、完全に無くなってしまったのではなく、
“アクリル板によって保護されている魚竜の化石が、発掘当時のそのままの状態で、見ることができる部分”
は、残っているとのことで、
その場所を見学させていただきました。
魚竜館が、一部でも残っていたのは、少し、安心でした。
その場所は、海のすぐ目の前に、ありました。
小さな水色の建物で、“魚竜館”と書かれてありました。
中に入ると、想像してたよりも少し大きい、アクリル板がありました。
アクリル板の部分は、この私のレポートファイルの、写真付きのページにも載せてあります。
![](https://assets.st-note.com/img/1722766364549-PYOdCoSirh.jpg?width=1200)
管ノ浜魚竜のページ
その、アクリル板の上を歩いて、下をのぞくと、魚竜の化石があって、
大内さんが、「クダノハマギョリュウというんですよ」と、説明して下さいました。
そして、「アンモナイトも一緒にいるんですよ」、と教えてくださって。
よくみると、クダノハマギョリュウの骨の近くに、アンモナイト類が、
2匹いました。
私は、魚竜館の一部と、これらの化石を拝見する事が出来、とっても感動しました。
魚竜館が、一部だけでも残っていて、こうして見学することも出来て、
本当に貴重な体験をした1日だったな、と思いました。
私は、いつの日か、魚竜館の意思を継ぐ化石展示施設が、歌津に復活して欲しいとの想いを伝えるためには、
まずお世話になった役場へ、
オリジナルの絵ハガキを描いたらよいのではないか?と思いました。
早速、魚竜たちを描いて、ハガキをだしました。
その後、両親に、分からないことは親も手紙を一緒にだすから、というわけで、
質問のお手紙、も書いてだしました。
![](https://assets.st-note.com/img/1722766238946-pqj9HpJ1ij.jpg?width=1200)
この画像が、その時の絵ハガキです。輪郭は点描で描いてあります。
輪郭はミリペンで点描で描いて、色鉛筆で塗りました。
復活して欲しいので、
‘‘魚竜館がもとの姿に復興できますよう願っております ’’、
との文もいれました。
その後、大内さんから、私の質問への返信のお手紙が届きました。
保管されていた化石は、東北大学などで修復されたものだということや、
拝見したクダノハマギョリュウのあった魚竜館の場所は、震災前から変わらずにあの位置にある、という事がわかりました。
また、’’魚竜たちの絵は、三浦課長(当時)はじめ皆にみてもらいました。とてもかわいらしくカラフルで、
素敵でした。大切にしますね。‘‘
とあり、
魚竜館への私の想いが、皆さんに伝わった可能性もあるかも??しれないなとも、思いました。
このときのやり取りがあって、
後に、
調べものファイルを作ろう!、と、
心の中で言ったのでした。
そうして、2019年8月、クダギョちゃんとウタギョちゃんなど
“南三陸町の古生物たち”をテーマに考えた最初の、魚竜キャラクター
イラストが完成しました。
また、“化石の復興”という調べものファイルも完成しました。
父に教えてもらいながら、なんとか完成させたファイルです。
ファイルにしたり、アート作品をつくっていくことで、
その作品の裏のメッセージである、
“魚竜館が昔のような、化石を中心とした施設として、新たに復活して欲しい”と、思っている人(私)が、
町外にもいるよ、
クダノハマギョリュウやウタツギョリュウなど
南三陸の古生物を、
調べながら、オリジナルキャラクターを
シリーズ化して発信してる、
勝手に募金箱まで作った
南三陸町化石のファンの人(私)が仙台にいるよ、というのを伝えたかったんです。
ところで、私が勝手に作った募金箱とは、なんの募金箱かといいますと、
“ホッケス”さんを応援したい、
というものです。
ホッケスさんとは、
“南三陸町を、化石を中心として盛り上げる、町民の会”だという事が分かり、
私は、この会を応援すれば、震災前の魚竜館のような施設を、復活できるのではないか?と、思いまして。
……つまり、ホッケスさんを応援することで、化石を中心とした昔の魚竜館のような施設が建ってほしくて、募金箱を作ったんです。
でも、どこに設置して頂いたらよいのか、また、ホッケスさんは、
募金箱を受け取って下さるのか?
……
分からないので、
化石シンポジウムの時に、
一か八か、ホッケスさんにお渡ししてみたところ……
なんと、お受け取りして下さいました!!
![](https://assets.st-note.com/img/1722848065949-J3ru69Az3X.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1722765757871-oMUiSbybXm.jpg?width=1200)
あと、因みに、テレビで、ホッケスの高橋直哉さんが、
“化石専門の施設が南三陸町 歌津に建つ日を夢みて、活動しています”とやってたのを、私は見まして、
やはり町民の方々も、震災前の魚竜館みたいな施設が、建って欲しいと思っているんだ!!と、私は感じました。
(④へ続く)
#アートインクルージョン