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Vol.2 『元気だった母がある日「老人性うつ」に。』 その後・・・

父は退職してから畑を楽しみ、母は外で働いたり趣味をするのが生きがい。
これまで大きな病気はほとんどなく、母はいつも年をサバ読みしては、
若く見積もって、その割には「美人薄命だ」と言い続けてあっという間に
65歳を超えていた。周囲の人からも「明るく元気な人」という印象の母だ。

私は当時40歳。夫と二人暮らしで実家からは遠い県外に住んでいる。
実家近くに兄夫婦がいるがあまり実家の行き来は少なく、
皆それぞれに自立した生活といった感じ。

ある日母が玄関先の階段で足を捻ったと言う。
ちょっと痛いけど歩けるし冷やせば大丈夫そうと元気そうな声。
「60歳超えたら一応骨折も考えてちゃんと病院に行きなよー」
と冗談で笑って言った。

翌日念のため、、と整形外科に行ったら、なんと本当に骨折しており、
行きは歩いて行ったのに、帰りはギブスで固定され松葉杖。
電話越しに、家の中もうまく動けないがコロコロ付きの椅子で移動してるわと母。

骨折といっても剥離骨折で、完治するのに3か月もかからないだろうとのこと。
一応家事をするのが大変かと思い、おかずを作って冷凍して送った。
実家の近くに住んでいる兄にも連絡したら、早速牛乳だの煮干しだのと買ってきたらしい。
骨を今さら強くする気なのか。。我が兄ながらその考えに母と笑った。

ところがここから母の気持ちと現実のギャップがどんどん深刻化していく。

彼女の中で
「ちょっと捻っただけだ」「すぐ良くなる」「今まで大変なことになったことがない」
という自分自身の健康に対する意識が、その現実との間で大きく揺れた。

「なぜすぐ良くならないの?」「いつまでも痛い」

思い通りにならない気持ちの焦りが日々会話の中でも聞かれていたが、
整形外科のリハビリに通って色々聞いてもらっては安心しての繰り返し。
生活はなんとかできているようだった。

松葉杖も取れ少しずつ自分で歩けるようになって来たころだ。
父から思わぬ言葉を聞いた。

「全然ご飯を食べない。ぐたーっとしてる。」

足はだいぶ良くなったんじゃなかった?と言いながら
様子を聞くがあまり良くわからない。 
母にも直接聞いてみようと電話をしてみた。 

するとどうだろう・・・。
まるで別人のような落ち込んだ低い声で出てきた。 
何がどう具合が悪いのか聞いてもよくわからない。
色々と億劫そうなのは感じた。
兄は話を聞いてくれるという感じではないらしく言いたくない様子。

職場の人はなんて言ってる?
と聞くと、無理しないで休んでいいよと言ってくれてると。
あれほど好きで行っていた習い事も全く行ってないという。
海外ドラマは欠かさず父と見ていたが、それも疲れるから見てないと。
そしてその時別な電話で母は私と通話しながら、仕事の電話を取った
その瞬間、

「これはおかしい」

父の言ってることが本当かもしれないと思った。
なぜなら母は自宅でどんなにだらーっとしていても
仕事の電話となると別人のようにキビキビ明るく電話に出るのが常だったからだ。
それが、ものすごい暗い声でキレのない返事ばかりしている。

兄にも電話をして様子を聞いてみたが、何やら仕事で忙しそうで、
孫の顔でも見れば元気になるだろというくらい。
状況をわかっているとは思えない感じだった。 

私はすぐ実家に行くことにした。

実家に着いて私はまず母を数日観察しようと思っていた。
あれこれ聞かずいつものように過ごそうと。

ところが驚いたことに母はまるで認知症の人かと思う様子で
あれほどおしゃれが大好きだったのに毎日同じ服を着て、
お風呂に入るのも億劫そうだった。
またその服着るの?と言っても同じ服を着ている意識がないらしい。
食べたことは覚えているが、食べることも何かをすることにも意欲がまるでなかった。 
会話にはなるが、決して楽しめる会話ではない。 
食事の量もびっくりするほど少なく、くたーっとテーブルに突っ伏しては
動かなくなっていたりで寝室へも促さないといけなかった。 

かかりつけの内科の先生には相談しているらしかった。
が、「娘のところでも行って気晴らししてこい」
と言われる程度で、とりあえずの安定剤のようなものは飲んでいる程度。

正直父はもうお手上げだという様子で、
しばらくお前のところで預かって欲しいと言ってきた。

夫に了解を取りあれこれ母が悩む暇を与えないで移動しようと、
私はすぐ帰宅しないと行けないと言っていっしょに連れ帰った。

そこからの日々はもう「何もしないで自由にどうぞ」というスタンスを
取ることに私は決めていた。 

自分は元気で体調を崩してもすぐ直ると思い込んでいた母だ。
それが実は確実に年を取っていて、骨折ということからその「老い」を
知ったけれど受け止められないのだろう。

私も夫も仕事があったが、母が起きてくるなら朝ごはんを用意し、
散歩に行けそうなら行くという感じで、生活リズムも何もかも
本人の自由意志に任せて、こちらはこちらで普通に過ごすことにした。 

半月くらいしただろうか。
少しずつ私たち夫婦の生活リズムもつかんできたようで、
朝自分から起きていっしょに食事を取るようになった。
玄関先で行ってらっしゃいと見送ってくれる日も。
母に話しかける時も私たち夫婦はあくまでも普段通りにしていた。

父からは、母にとあれこれ胃腸の薬や使いやすい生活用品などが
送られてきて、その中には私たちへのモノは1つもなかった。

「こんなに母のことばかり考える人だったんだ・・・」

父と母の関係というか、夫と妻の関係をそこに初めて見たような気がした。 

ひと月ほどして母は少し仕事のことや友人と電話で話すようになっていた。
時々「お父さんのアレをしないと」と父を気に掛ける時も増えてきて。
特に遊びに行くでもない生活にも少し飽きてきたようだった。

「そろそろお帰りになりますか?」

と思い切って尋ねると、にっこりとうなずく母がそこにいた。

父にそろそろ帰るそうです、後はよろしくお願いしますとメッセージすると、
「もちろんそのつもりです」
と返ってきた。この人は夫なんだなぁとしみじみ思った。

母は帰宅後、自ら心療内科を受診した。
環境や心因的な変化で起きやすい老人性のうつで、
一般的なうつ病とは多少異なるとか。

じっくり話を聞いてくれる先生に会い、
娘のところに行ってよかったなーと言ってもらい、
「必ず良くなるから」
という言葉の通り薬と話を聞いてもらいながら
今ではすっかり薬も不要なほど元気になっている。

今年母は71歳になる。

いつの間に古希だったの!?と聞いたら、
「年齢に古いっていう漢字を使われるなんて」
と70歳になったことを隠していたらしい。

相変わらず年齢をごまかそうとしている母だったが、
「まぁ私もそんなに若くないことは確かだわ」
と笑っており、以前よりも少し心と体が一致しているようだった。

何であれ健やかな日々が過ごせることに感謝したい。  

(44歳 ある田舎の娘) 


その後・・・

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