
#6 フィットネスクラブが第二の居場所
家族の認知機能の衰えに一番早く気づくのは家族とは限らない。
母の場合もそうだった。母は近所のフィットネスクラブの超長期会員で、還暦手前からからおよそ20年は通い続けていた。最初の頃は水泳にジムにフラダンス…と意欲的に勤しみ、フィットネス仲間とは何度もバス旅行に行っていたし、ハワイにもいくほど仲良しになっていた。母はその中でも最年長だったが、おっとりとしていて褒め上手な性格の母は娘の目から見ても人気者だった。
母は60代の頃が一番元気だったかもしれない。
父と二人でたくさん旅もしていたし、フィットネスクラブにも平日はほぼ毎日通っていた。日常生活を豊かにしてくれていたのは近所のフィットネスクラブだったと思う。とりわけそこでのお仲間の存在は母にとっては特別だったと思われる。離れて暮らす娘の私にとっても、ありがたいとしか言いようがない。まさに第二の居場所となっていた。
70代も半ばに入ると、運動をしにいく目的よりも友だちに会っておしゃべりすることが主目的になっていた。フラダンスの振り付けが覚えられなくなり、一生懸命振り付けをメモしたり、カセットテープに音楽を録音したり自宅でかげ練までしていた。
その後はお風呂に入りに行くだけの会員となり、自分でも「お風呂会員」と呼んでいたが、それでもお友だちとの付き合いは母にとっては特別で、帰りにみんなでショッピングモールのラウンジに寄っておしゃべりすることが自慢のルーティンになっていった。認知症の専門医や介護関係の人たちから、「Fさん、最近はどうですか?」と尋ねられると、母はいつも「フィットネスクラブに行って、お友だちとラウンジでお茶を飲んでくるの」と話していた。そのくだりは何度も繰り返された。
とっくに通えなくなってからも、そう答えるときの母の表情はイキイキしていたので、「それは2年前までのことで、今は行っていません」などと上書きする自分が意地悪く思えてしまうほど、母にとっての晩年の居場所がそこには確かにあったのだ。
フィットネスクラブの年会費は8万円ちょっとだっただろうか。更新しなくていい?と母に尋ねると、頑なに続けると言い張ったり、あるいは悲しそうな顔になったりで、2年間は幽霊会員だったけれど、年会費だけは納め続けることになった。非常にもったいないと思ったが、母の顔を見てしまうと決断しきれなかった。
母の頭の中にある優先順位、慣れ親しんだ日常はリアルにそこにあるから、こうした判断は家族にとって難しいものがあると思う。
翌年には母には何も言わずに解約にいき、お世話になったお礼を窓口の人にお伝えする。母の晩年を支えてくれてありがとう!心から感謝だ。