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二千年後の君へ2
…これは、僕が最高のヒーローになるまでの物語だ…
『僕のヒーローアカデミア』です。
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「古代史」がつまらなく感じる理由の1つに「摂政」「関白」「上皇」等、その時の時代により、異なる役職の人物が時代の表に出てきて、政治を司っており、学校においては丸暗記をさせられていた事が挙げられます。
それも、信長・秀吉・家康程、キャラが立つわけでもなく「お前、誰だよ」とツッコミたくなるような人物の丸暗記程、退屈なものはありません。
そして、時代は「古代史」から「中世」に移っていきます。
「古代史」から「中世」へのターニングポイントは、武士の誕生です。
今日は「古代史」のエピローグを、案内します。
道長の時代を頂点とした「摂関政治」が終焉し「院政」が開始されるのは、11世紀終盤です。
「院政」とは「天皇」が「上皇(譲位後の天皇の呼称)」や「法皇(上皇が出家した時の呼称)」となり、政治の実権を掌握し、国を統治する政治形態を言います。
8歳の息子である善仁親王(堀川天皇)に譲位した白河上皇が「院庁」を開設した1086年が「院政」の始まりです。
白河上皇は、堀川・鳥羽・崇徳の3代の天皇の間、実に43年に渡り、政界に君臨していました。
権力とは、徐々に腐っていくもの。
43年もの間に、白河上皇は、ルールを無視して勝手に人事を行ったり、寺の落成式が雨で3度中止になった事に腹を立て雨水を器に入れ獄に繋いだりと、かなりの横暴振りと感情の赴くまま謎の行動に出ています。
…思い通りにならぬのは、加茂川の水、双六のサイ、僧兵だけ…
白河上皇が、豪語した「天下三不如意」は、後の世まで語り継がれています。
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