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介護職員の現場からの想い 〜介護職を嫌いになったわけじゃないんだよ〜
こんにちは!ikedaです!
以前、「介護現場の難しさ no.1 人間関係」という記事を書きました。
その中の想いを今日はさらに深めていけたらと思います。
離職する理由は、介護が嫌になって辞めていく人より、多様な介護観の狭間で気持ちが疲弊し辞めていく人が多いなと、今まで働いてきた現場を考えながら思います。
もっとご利用者さんのために…と思いながらも実践できないもどかしい気持ちで辞めていく人たちです。
そう思うと、単に人を増やしていくというよりも、ケアの基礎に立ち戻り、ご利用者を中心に置いたケアの在り方を考えられるフロアにすることが、職員が辞めずに長くやりがいを持って続けられる現場になるのではと。。。
今まさに私がこの辞めるか辞めないかという岐路にいます。
理想とするケアが実現できない現実に心疲れました。
なぜこんなに悩むか。
それは「理想とするケア」は自分にとって「理想」ではないからです。。
突然席を立つご利用者に「なに!?」「座って!」の声。
わたしはただ疑問です。
逆に何故立ってはいけないの? と。
忙しさに気持ちが持っていかれる時は、イライラしてしまうのかもしれません。
「立って転んだら危ないから職員がちゃんと見てないといけない」と言われるかもしれません。
でも、「介護者の声かけとしてどうなのか」というよりも、「人としてどうなんだろう?」とわたしは思ってしまいます。
毎日帰りたいというご利用者さんに「帰れないから!ここに泊まるの!」との声。
なんでそう思ったのかな、寂しいのかな、気にかかってることがあるのかな、帰りたいの裏にいろいろなことがあるはずだと思います。。
家に帰れない事実は変わらなくても、そこにあるご利用者の気持ちを置いてけぼりにしたくないと思います。
それを「また認知症だから言ってるよ!」そんな風に職員で共有するのが悲しいです…
認知症だから帰りたいと思うのでしょうか?
認知症だから何かを思い、席を立つのでしょうか?
認知症だからそれらは許されないのでしょうか?
それ以前に、「人として」向き合いたい!!!
生きていたら自然に思うことや、自然に行えることが何故高齢者になると特別なことになるのでしょう…
ただただそれだけなのに。
それだけのことが何故「理想のケア」と思わざるをえないのだろう。
大前提のはずなのに😔
慌ただしく過ぎる毎日の中で、自分の中の見失いたくない想いを繋ぎ止めることで精一杯。
忙しさの中でこんなことを言い続ける自分が間違っているとだんだん思えてきたりもして…
次第に大切にしたい気持ちを持ち続けることに疲れ、諦めてしまえば楽になると自分にも負けそうになる。
でもお風呂介助の帰り道、ご利用者さんに「今日あなたにお風呂一緒に誘われて、久しぶりに生きてる実感がしたわ!」と言って頂いて、
一番身近にいるからこそ、現場から変えていかないといけないんだ!と思い直します…
資格じゃない。介護歴じゃない。役職じゃない。
ただ、まず「人として」ご利用者も職員も大事にできる現場でありたい。そう思える自分自身でありたい!
ただただそれだけです、、