カイゴが介護を始めたワケ|前編
介護士になった理由、それは大好きなばあちゃん。
大学生だった時、僕は一人暮らしを始めた。
高校までは祖母とよくやんややんや言い合っていましたが、自分でも笑えるくらいおばあちゃん子だった。
でも、田舎に住んでいた僕は
「早く家から出たい」
それしかなかった。
やりたいことが見つからないまま大学4年になり、留年。
留年したことで父から「一人暮らししても卒業できんのなら家から通え。」と言われ、実家から大学に通うことになった。
至極当然な流れだ。
【2014年4月】
家から通えなくない距離だったので、まあいいか、久しぶりの実家暮らしも悪くないだろうと思い、4年ぶりに家に帰ると
祖母は認知症になり要介護3と診断されていた。
認知症?よくわからない。
要介護?3?
何一つ分からない。
祖母は僕の名前を呼ぶ。
「カイゴ、久しぶりだね」と。
僕にとって認知症は「ボケ」ていること、そんな認識だった。
別に少し老けたぐらいで4年前と変わらない。
ああ、認知症って時々人の名前を忘れるくらいなんだろう。今思うとこの無知だった自分が恥ずかしい。
久しぶりに実家で、自分の部屋で寝る、4年前は兄と一緒に寝ていたなーと思い出しながら。
「ガシャンッ」
大きな物音で目が覚めた。携帯を見ると深夜3時を回っていた。
僕は二階で寝ていて、物音は一階からした。
おそるおそる一階へ見に行くと、暗闇の中、祖母が台所を歩き回っていた。
カイゴ「ばあちゃん、何しとるの?」
ばあちゃんは何も言わずに寝室へ向かう。
僕は何だったのだろう、と深く考えることもなく再び眠りについた。
朝になり、昨晩の話を母にすると
母「ばあちゃんね、カイゴが一人暮らしを始めてからすぐ夜中に歩き回るようになったんだよ。何でだろうね」
この話を聞いても僕は認知症について考えることはなかった。
この日の深夜、
「ガシャンッ」
また大きな物音で目が覚めた。
一階を見に行くとまた同じ光景。
電気をつけると皿が割れ、ばあちゃんの足からは血が流れていた。
カイゴ「大丈夫!?ばあちゃん!」
驚く僕を横目に、ばあちゃんは何も言わずに寝室へ戻っていった。
朝になり、僕は両親にばあちゃんの話を詳しく聞くことにした。
僕がいなくなってから少しずつ家に引きこもるようになったこと、夜歩き回るようになったこと、あまりご飯が食べられなくなったこと、ばあちゃんの友達が死んだこと。
色々言われたがあんまり頭には入ってこなかった。
ただ、だんだんとばあちゃんが変わった行動をし始めたことに対して
「これはばあちゃんが死ぬまで耐えるしかないんだよ。これがボケるってこと」
この言葉だけは今でも忘れない。
毎日物音で目が覚め、ばあちゃんの心配よりも寝付けない苛立ちでばあちゃんが嫌いになっていっるのが分かった。
認知症の祖母と4年間一緒にいる両親はどう思っているのだろう。
4年前に比べ、家庭内がギスギスしているのが分かる。
カイゴ「ばあちゃん、早く死なねえかな。そしたらみんな幸せじゃん」
後編はこちら**
~~~~~~~あとがき~~~~~~~
稚拙な文章ですがもう少しだけお付き合い下さい。