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絵にかいたようなスプロール。カオスの住人は最後に笑うのか。それともババを引くのか。

埼玉の道路がめちゃくちゃなのは有名ですよね。
メジャな駅の前以外は本当にカオスで、道という道は基本的に無秩序に好き放題のびてあちこちで異常巻きアンモナイトと化してる。
ナビはなぜここで?という場所で急に曲がれと言い、ナビなしで走るとなぜここに?という場所に迷い込む。

〇〇バイパスとは名ばかりで、その周りにもうじゃうじゃと街がまとわりついてしまっているせいで車線も狭くすぐに渋滞し、実際にはただの遠回りの道と化している。
産業道路と呼ばれる道も同様、名に似ず細く狭くすぐそばには住宅が迫り、途切れ途切れのC種かB種のガードレールが頼りなげに老人と犬を守る。
それらは主要な道と並走するかのように思わせて、いつの間にか独自の線を引き始め、なにかにぶつかったり合流したりして、いつの間にか消えている。

それらから枝のように生える細い道たちは、それが輪郭を象る「土地」がそもそもいびつな形であるがゆえに窓を落ちる雨粒や菌糸のように行きやすい方向へだけわがままに進み、そしてやはり唐突に消える。

マンデルブロのフラクタルのようですが、決定的に違うのは寄ろうが引こうが一切の相似形も規則性も見せないところです。

本物のカオス。

いくら電車社会といっても、皆がみな駅からの徒歩圏内に住めるわけではないし、全ての物事が徒歩圏内で完結することはありません。

ですが、カオスの住人たる居住者やタクシードライバーたちは、どんなにナビや地図サービスが真っ赤な渋滞を表していようとも、まるで巡回セールスマン問題を解くコンピュータのようにあみだくじの中から最適解を見つけ出し、結局いつも通りの時間に届けてくれるんですよね。

それは、まるで知能の高い生物だけを選別するフィルタかゲートのようです。

その他の政令市や50万100万都市とくらべてなぜあそこまで道路が貧弱なのか。

それは元より都市として作られた街と、結果的に大都市になってしまった場所との差、その成り立ちからくる構造の違いなんですよね。人に使うのは差別的ですが、あの街は「生まれ」と「育ち」が悪いのです。

「スプロール」

都市の急速な発展により、市街地が無秩序、無計画に広がっていくこと。

関東大震災、大戦、高度成長期、何かあるたびに大規模な人口流入、それに伴って街は急速に発展していきました。
特に大宮やその周辺が発展し始めたのは比較的新しく、新幹線が開業した頃と言われています。
埼京線や湘南新宿、上野東京など在来線を巻き込んでさらに巨大になったステイションはますます人を呼び、連動する都市はアメーバのように土地を求めて東西南北に広がっていきました。

ですが、ここはもともと中山道の宿場に過ぎなかった場所。
これから田舎に向かう人か、田舎から来た人の為の通り道でしかなかったのでそのアメーバを律するものがありませんでした。

地方の大都市、いわゆる「行く価値のある田舎」は殆どが昔から栄えている城下町や港町、工業都市ですよね。

そういう、大きいディベロッパ(昔だったらさしずめ領主や君主がそれに当たりますか)がきちんと都市計画を立てて造った街や、山川によって引かれた線を主軸とした街、要塞としての価値を持たせた街の計画された緻密さや機能と違い、せいぜい農地か何かだった何にもない平野に急速に産みつられけられたおびただしい数の人間達が、小さな陣取りゲームを勝手に繰り返してできあがったような街が、ぐちゃぐちゃなまま今に至るのは仕方ないんですよ。しかもいまだに膨張途中ですしね。

所詮は労働者である個々の地権者が持てる面積などたかが知れていますし、東京に行ってしまった子供達はあんな土地要らないと相続もせず不動産屋に売る。当然彼らも利益を出すためにすぐ家や建物にしてしまい、安いのですぐに売れる。

そしてまた30年リセットです。

それはまるで種類の違う雑草がたくさん生えている庭。
季節によって伸び方も違い、それぞれ効く薬品の種類も全部違う。刈り取ったはずの場所もいつの間にかまた別の草が生えていて、抜くのにまた30年かかる。
古い団地やマンションがいつのまにか外来種の巣になっていたりするあたりも自然を感じますね。

そんなところに、もう今更直線も曲線も引きようがありません。

再開発やそれに伴う用地取得のむずかしさは想像を絶します。というか、不可能ですね。

時代は違えどおなじような成り立ちを持つはずの新宿のようになれなかったのはやはり広すぎる余剰地ゆえに、じゃあ横に伸びればいいやという圧力の低さだと思います。

そのユルさ、好きですけどね。

実際、行政のほうでも他の都市より道路が低レベルなのは認識して問題視しているようで、さいたま市の資料では半世紀以上未整備の路線が全体の8割とか。
でも民生費と医療費が多いので、今後も道路整備なんかに金はかけられないということで予定していた計画道路も15路線を白紙化したといいます。

サービスに対して税金を払う額が少ない「子供」と「老人」の比率。子育てしやすい町とかアピって目先の移住者増やすのは良いけれど、その子たちが成長した後に働いて税を納める先が「東京都」にならないようにしないと。

人と金がミチミチに詰まってる空間というのは物売り商売にとっては良い漁場ですけど、リアル世界の人達には地獄だと思います。
それに貧弱な道路網と鉄道に依存した都市構造は、首都直下地震で接続網がブチブチ切断されたらなかなかシリアスな状況を生むのは間違いないんですよね。

ですが現状ではもうどうしようもありません。

飽和している土地がこれ以上利便性を維持発展させることは難しく、これからは小さなトラブルにひとつひとつパッチを当てるように、非効率で不経済なインフラ整備をちまちまやっていくしかありません。

仕方なく。

とはいえ埼玉県は2030年に人口ピークアウトで減少予測出ていますし、もう15年から20年くらいでキャパに見合った人口に落ち着いたらもっと住みやすくなると思います。空き家問題と表裏一体ですが。

大企業が脱東京を進めている今、わざわざ東京に一番近い田舎に住むメリットも薄まります。東京の地価や住宅価格が下がれば、人は東京に住みます。
最終的には「本当に埼玉を愛している人」だけが残るでしょう。

ただ、安くなればそれだけ外国人や低所得者も増えるだろうし、そうなると市や県単位でマンション中国人問題みたいになる可能性もあるだろうし。

出ずに住み続ける人が勝ち組か、それともババ引きになるかは難しいところなんですよね。

まあそもそも、本当に埼玉を愛している人なんてものが実際に存在するのか僕にはわかりませんけどね。

多くの人はコスパや利便性を語るだけで、愛や感情を持っているようには見えないんですよ。

あなたは「東京に一番近い田舎」というメリットを失った後も埼玉を愛し続けることができますか?

健やかなるときも、病める時も。

風が語り掛けます。



おしまい。

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