戦争がつらい。
この世は地獄なので。
19年の末からか大統領選のあたりからか、フェイクニュースに騙されないようにしましょう、ちゃんとソース確認しましょうと世の中が啓蒙していったら、何のことはない、普通にやってるTVのコメンテータ、芸人、落語家、さらには医者や研究者を名乗る連中までが適当な事を言っていた事がどんどんチェックされてしまってワイドショーや報道番組の信用度ががた落ちしたのは滑稽だった。
いや、それ自体は滑稽というかむしろ問題なのだけど、ネトウヨ、ブサヨとかマズゴミとかアカヒとか言って盛り上がってた古のネット民からするとそういう文化がリアルの世界にまで降りてきたのが滑稽だった。
本来コンセンサスや確証の得られた事実をフラットに語るはずの専門家(を名乗る人たち)までもが興奮して冷静さを欠き、みんな好き放題発信してそこにさらに素人のコメンテータみたいな人たちが茶々を入れるせいで方向性がめちゃくちゃに。結局時間切れで終わり、その後は各自SNSで罵詈雑言。自分語り大会。クソリプ/荒らしとの戦いで錯綜する事実と情報。
これを混乱と呼ばずしてなんと呼ぼう。
そしてそれを元に、現実世界でもたびたび目撃する、陰謀論や過激思想に染まった人たち。そこらのふつうのオバチャンまでもが「TVが言ってるのと違ってxxは危ないらしいよ」などと言ってくる始末。
ネットの世界の魑魅魍魎がリアルの世界に具現化している。すごい。
彼ら彼女らは持っている知識の量と質が低すぎて、専門家の話はどうせ何言ってるかわからないからと一旦脳をオフにして聞き流す。
その後、見覚えのある人達が話し出す……
「要するに~」
初めて耳が開く。
目に映る回数だけが親近感のバロメータ。
毎日毎日同じ時間、お昼か夜にそこに座ってる連中の事は無条件に信頼する。
SNSもそう。毎日毎日画面を開けば誰かが何か語ってるのを見ることができる。定期的に。安心感。
チャンネルを選ぶ。
僕たちはチャンネルを選ぶ。
そのチャンネルを変えることができる。
検索することができる。選ぶことができる。
「見たいものを見ることができる」
ブロックすることができる。目をそらすことができる。
マルスが幸福の名のもとに統治するだろう。
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現代戦の武器や装備は高度に電子化されていたり、都市制圧に於いても十分な訓練や技術の習得が必要である為、適当に徴兵した素人を前線に並べても無駄でしかない、という論調が昔は展開されていた。
これは左派右派両方の中で(目的は違えど)徴兵を否定する大きな根拠であったのだけど今まさにその意味のない行動で適当にかき集められて押し出された戦車や練度の低い兵がバタバタと失われていくのを見せられるのはなかなか厳しいものがある。
よくわからないまま前線から母国に電話をかけさせられる兵士。エレベータを利用して全員捕まってしまう兵士。
事実だとしたらその通りだし、プロパガンダなのだとしたらそういう事がありうると想像されてしまっているということ。
それを目の当たりにするのはつらい。
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とりあえず反米というオールドスタイル。
戦後からこの国を柔らかく包んでいたなんとなく反戦みたいな思想の残り香があり、それは美しい花の香りでもある。
納得はできないが、そこに至る思考は理解はできる。
でも彼らのそれは現代にアップデートされていなかった。
そのスタンスを変えずに、現状を見たいようにただ見るから狂う。
親露、親中、両成敗論、降伏論。
現代の兵士がそんな第二次世界大戦のソ連みたいなことをするわけがない。
現代の軍隊が旧日本軍(と定義される連中)のようなことをするわけがない。
お国の為に命を懸けてなんて前時代的。
本当は僕もそう思いたかったですけどね。
占拠された土地で民間人が虐殺されている写真や映像が続々と流れて来るにつれ人々は甘えを捨てつつある。
グロ耐性とは別に、年取ってから死体の画像を見るのはなかなかツライものがある。
砂漠や森ではなく、自転車の立てかけられた塀、ガレージのある家、軍服や民族衣装でもなく、洋服を着た日常世界に死が蔓延してるのは見てられませんね。
見てられませんわ。
つらいな。
こんなに辛いのに、まだそんなことを言うのか。
私達はプロパガンダに乗せられていると?
おしまい。