思い出す。あの頃の池袋。
池袋は変わったらしい。
汚かった区役所がマンションと一体化して周りが整備されてもう5年。
その前の公園(正式には区立中池袋公園というらしい。僕らの間では安直にラブホパークと呼ばれていた)は綺麗に舗装され、トイレも喫煙所も、そもそも土がなくなった。
サブカル人にとって最も池袋を象徴する存在であったところの西口公園もGLOBAL RINGと称して大変居心地の良さそうな空間に変貌した。
まだ工事中だったころ、かつてよく行動を共にしていた友人にそれを話すと
「そうだよ。池袋はキレイになるのさ」
とまるでIWGPに出てくる悪役のような台詞をナチュラルに返してきた。
やはり生粋の江戸っ子は育ちが違う。
00年代の池袋は良い町だった。
埼玉の植民地などと言われ(実際に西武と東武と埼京線、なんなら接続する地下鉄も埼玉へ行けるのだから当然だ)
世田谷区出身の知人女性からは「治安が悪そう」とあまりにもストレート過ぎる差別発言を受けた。
公園にはホームレスと宗教勧誘、酔っ払いと暇を持て余した大学生やバンドマンたちが昼間から缶ビールを片手に喫煙所にたむろしていた。
夜になると外国人の目が輝きだし、P’PARCOの前ですら喧嘩が起きたりしていた。終電の去った駅では鞄を枕に睡眠を決め込むサラリーマン。キャッチにナンパ。そして悪そうなエスカレードに女が乗り込んでいくシーンを煙越しに毎日のように見ることができた。
当時の僕は地下にあるIRISHのバーに週3で通い、アルコール漬けの外国人とつたない英語で映画について語ったり、ロサ会館のビリヤード場でタダでビールを飲んだり飲まされたり、食べたばかりのラーメンを僅か10分後には揮発性の高いもんじゃ焼きに変換したりしていた。
終電を気にするのが嫌になり最後は五差路の近くのアパートに引っ越した。
その安アパートも不法滞在と思しき中国人の部屋に入管かなにかのガサ入れが有ったり、フィクションの中の東京がそのまま存在しているリアルさとリスクの低さが絶妙にバランスしていて居心地が良かった。
自分が去った後もあの街はあのままずっとそこに存在していて、いつでも戻ろうと思えば戻れるものだと、迂闊にもそう考えていた節があった。
そして池袋は少しキレイになったようだ。
変わっていくのは当然だ。新しい街で、その時代、その世代の人々が街をつくっていく。それはそうだ。
ただ、人がキレイにしようとしたこととは無関係に
否が応でもこれから更に大きく姿を変えさせられることになってしまった事、それだけが残念でならない。
あのタフで賑やかな日々を過ごしたバーも飲み屋も
いまはもうないらしい。