侍女の物語と休む
海外の漫画を読んでいて良かったなと思うことの1つに、海外の著名な作品と思わぬ形で出会えることだ。今回紹介する「侍女の物語」もそんな作品の1つだ。私はこのグラフィックノベル版を読むまで「侍女の物語」の存在すら知らなかった。本書の表紙によるとこの作品、マーガレット・アトウッドというカナダの作家が原作らしい。マーガレット・アトウッドはカナダを代表するような作家であるし、同作家の中でも著名な作品の1つらしい。全く知らなかった自分が恥ずかしい。そのため、以下の記載は全て原作を読んでいない前提で読んでもらえるとありがたい。それでも、こうやって海外漫画を読んでいなければ、死ぬまで素通りしてしまっていた可能性があるカナダ文学に触れることができるのは、本当にありがたい。
本作品のストーリーについては、表紙に記載されたものを引用しておく。
ギレアデ共和国の<侍女>オブレット。赤い制服を着た彼女の役目はただひとつ、主人である<司令官>の子を産むことだ。厳しい監視の目をに怯えながらも、自由だった過去や引き離された家族のことが忘れられない彼女を、普段は交流を禁じられている<司令官>その人が部屋に呼び出して・・・・
本作品は全13章で構成されている。13章といっても決して長すぎず、間延びしていると感じているところも全くない。むしろ、ある種の休符のように、章が変わることで物語全体がリズミカルに進行しているように感じる。
早速、本作品の特徴を見ていこう。
まずは、冒頭あらすじでもあったように「赤」が特徴的に使われている。「赤」といっても色々な色があるのだが、本作品でも非常に落ち着いた上品な「赤」が使用されている。こういう色のイメージは、明らかに漫画特有の、小説に比べて有意な表現ではないだろうか(無論、原作者がどのような赤色を表現したかったのか、という議論は別として)。物語全体の雰囲気を掴むのに、この色のイメージはともて役に立った。
彼女は<司令官>の妻。オブレットは彼女の代わりに<司令官>の子供を産む必要がある。
彼が<司令官>である。この3つのカットを見るだけで十分お分かり頂けると思うのだが、絵の雰囲気と色合いがすごく良い。少し少女漫画っぽい線の繊細さはあるのだけど、色彩はとても丁寧に塗られている印象で色の濃淡が本当に気持ち良い。書き込みすぎず、情報量過多になりすぎず、コマがリズミカルに進んでいく。近年、バンド・デシネの作品でもコンピュータによる彩色が進んでいるという話は、2003年時点ですでに指摘がされていた。それは経済合理性のため仕方ないのだろう。それでも、やはり水彩等の彩色はとても魅力的なのだと思う。漫画の中に絵画を見たいのだ。
本作品、好きなカットをあげるとキリがない。最後に「赤」が特徴的に使用されている上記のカットを見てほしい。全体としては色彩がない。しかし、ページ全体を使って「赤」が塗られている事で、この場面をドラマチックにしている。またこの「赤」の彩色のおかげで、従来「コマ」がはたす役割が一部形骸化しており、「色」が「コマ」が持つ文法というか、お約束を破壊している表現だと思われる。
このように、本作品は、「文学」と「絵画」両方同時に楽しめる、新しい形の芸術と言ってもいいのではないだろうか。とにかく、この作品は、大いにおすすめできる作品だ。