「スターゲイジーパイ」は、今でもイギリスに実在するのか?【実食体験記】
スターゲイジーパイ(Stargazie Pie)をご存じだろうか。
イギリスの飯マズ伝説の一端を担う伝説的な料理で、そのショッキングな見た目から、日本のSNSにおいても非常に人気が高い。
ジブリ映画「魔女の宅急便」で出てくる「ニシンのパイ」のモデルという説もあり、日本での認知度はやけに高い。
これは、本場イギリスで本物のスターゲイジーパイを本気で食べようと追い求めた人間の記録である。
ロンドンで食べることは不可能
個人的な認識では、スターゲイジーパイとは、フィッシュアンドチップス、うなぎのゼリー寄せに並ぶ英国の伝統的な料理。料理下手イギリス人が産み出したトンデモ料理で、なぜかパイから飛び出し天を見上げる魚という衝撃的なビジュアルが恐怖を誘う。
しかし、その特異なビジュアルと、イギリス料理が不味いというイメージの先行で、日本人からは馬鹿にされているが、実際にこれを食べたことがある人はいるのだろうか。
この不思議な料理。ぜひこの目で見てみたい。この舌で味わってみたい。こうして、伝説のスターゲイジーパイを求める旅が始まった。
まずは、大英帝国の首都・ロンドンに注目する。伝統的パブから、各種海外料理まで、お金さえ払えば食べられないものは存在しないと言われるロンドンだが、スターゲイジーパイを提供しているレストランを発見することは叶わなかった。小さなパイの中心でエビが天を仰ぐパイや、具に魚の身を含んだパイを提供する店は存在するようだが、日本人が夢焦がれる、あの悪魔的外見には遠く及ばない。
さらに、ロンドン在住の英国人に話を聞いてみいても、食べたことはおろか、見たことも聞いたこともないと返されるばかりだ。
どうやら、日本のSNSで形成されたイメージが勝手に、スターゲイジーパイを英国の代表的国民食へと押し上げてしまっていたに過ぎず、イギリス現地ではむしろマイナー寄りの料理であるようだ。
スターゲイジーパイとは?
ここで、日本人の固定観念から離れ、スターゲイジーパイとは何なのか、現地情報をもとに調べ直すことに。
なるほど。このパイは日常的に食べるものではなく、特別な祝日に食べる行事食だったのだ。さながら、日本のお節料理。さらに、この伝説が伝わっている地域が非常に限られている。時と場所、非常に限定的な条件下でのみ、このパイは食卓に並ぶのだ。
また、そのショッキングな見た目も、決してふざけているわけではないようだ。魚が飛び出している理由としては諸説あるようだが、飢えに関連した意図が介在している可能性が高い。
コーンウォール、ことさらMouseholeで、もしかしたら本物が食べられるかもしれない。期待を胸に更に調査を進める中で、Ship Inn Mouseholeというパブで、今でも一年に一度、スターゲイジーパイが提供されているという情報を目にした私は、12月23日にMouseholeを訪れるべく計画を始めるのだった。
Mouseholeへの道
Mouseholeはイギリス本島のほぼ最西端。Googole Mapで調べてみれば、ロンドンとの位置関係はこの通りである。遠い。
朝6時に出発して12時着。途中で電車乗換こそ無く、日帰り旅行は不可能ではない。しかし、イギリスの電車はとにかく遅延が多い。30分でも遅延してしまえば計画はオジャンである。万が一にも食べ逃すことは避けたいので、鉄道駅の最西端Penzance(ペンザンス)駅で一泊し、23日当日朝一にMouseholeへ向かうことにした。
ちなみに夜行バスという選択肢もあったが、10時間の旅は身体に堪えるため断念。
12月22日(日)朝10時、ロンドンのハブ駅の一つ、パディントン駅から電車に乗り込む。冬休みシーズンということもあり、大量の乗客でごった返す車内。
5時間後、15時。ペンザンス駅に到着。
駅から海を眺めると、「ロンドンのモンサンミッシェル」と呼ばれるセイント・マイケルズ・マウントを望むことができる。イギリスの田舎の島に、フランスの世界遺産の名を冠するとは誇張表現が過ぎるのでは…?と正直舐めていたが、実際見ると中々にインパクトがある。残念ながら、年末シーズンは島へ続く道が海に沈んでしまっているため、訪問は断念。
日曜日ということもあり、ペンザンス周辺のお店は軒並み閉まっており、大人しくホテルで休憩。駅直結で一泊50ポンド程、周辺宿泊施設に比べて半額のかなり良心的なホテル。
翌朝12月23日、トム・ボーコック・イヴ当日。バスターミナルは意外と新しく、どのバスがどこへ向かうのか電光掲示板で明示。Mousehole行は少なくとも30分に一本確約されている。
なぜか乗りたかったバスが回送表示のままどこかへ走り去ってしまい、次便を20分待つことにはなったが、無事搭乗に成功。
他のバスに比べて明らかに小さく、小さな施設の送迎バスのようだ。支払いはタッチレス決済で可能。25分ほど山道を走り、お目当ての港町Mouseholeに到着。終点なので降りる駅を気にする必要もない。
Mousehole探索
パブの開店まで時間があるため、Mouseholeを探索。とはいっても、午前中はほとんどの店が開いていない。
トム・ボーコック伝説をもとに作られた絵本「The Mousehole Cat(1991)」によれば、Mouseholeという地名は港の入り口があまりにも小さく、ネズミの巣穴のようであることに由来するらしい。英語式発音ではそのまま「マウスホール」、コーンウォール語では「マウゼル」と発音する。後者を発音する方が現地で溶け込めそうだ。
港では、地元民と思われる人々が家族単位で泳いでいた。健康法なのだろうか。さすがに寒そうだ。
スターゲイジーパイ、実食!!
ホームページでは11時開店のはずだったが、実際に開店したのは11時45分頃。予定では、13時頃にスターゲイジーパイのセレモニーが行われるそうだ。
セレモニーの流れとしては、トム・ボーコック・イヴの歌をみんなで歌い、トム(に扮したおじさん)を招き入れる。トムはスターゲイジーパイをパブ客に見せながら店内を一周する。セレモニー終了後に、希望者は、寄付金と引換にパイをひとかけ貰える。寄付金は、地域の海洋救助を行う団体の活動へと使用されるそうだ。
セレモニー開始まで飲んで待っていてくれということなので、ビールを注文しカウンターに着席。ちなみに各種ソフトドリンクや、ホットチョコレートも提供している。なお、12月23日はスターゲイジーパイのために、17時以前のフード提供を中止しているそうだ。パブがパイに賭ける並々ならない情熱を感じる。
開店当初こそ数人だった客もどんどん増え、最終的にパブは満席に。しかも、パイ目当てで来るお客の多いこと多いこと。机上には、歌詞カードが配置。準備は万端だ。
13時、響き渡る鐘の音とともにトムが入室。その手には夢にまでみたスターゲイジーパイが握られている。感動の対面である。
セレモニー自体は5分にも満たない。件の歌をBGMに、トムが全ての客にパイを見せて回ってくれる。
セレモニーが終了すると、パイを食べたい人は一列に並ぶようアナウンスがされる。
寄付は現金のみだが、その多寡はあまり気にされない。お札の人がほとんどだったので、5ポンド以上を目安に考えるといいかもしれない。そしてついに…。
パイを入手!冷めないうちに実食。
これは…。
かなり美味しい。素材の味直送・客任せの味付けが、イギリス飯がまずいと言われる所以であるが、パイの中身からは確実に下味を感じる。パイの中身はマッシュされたジャガイモ、恐らくホワイトソースでグラタンに近い味付けがされている。魚はイワシ系の青魚と思われるが、塩が効いていて日本食の塩焼き感がある。
紙コップに取り分けられるため、量は少し物足りない。しかし、寄付を行えば、もう一度手に入れることも可能。もちろん、お祭りなので、なるべく多くの人が食べるべきという配慮も忘れてはいけない。完全に列が途切れている終盤に再度並び、運良く余っていた頭部分を手に入れることができた。
頭もよく火が通っており、そのまま食べることができる。やはり美味しい。
偶然、ロンドン在住の別の日本人の方も、スターゲイジーパイを求めてこの地に流れ着いていた。自分が断念した夜行バスでの旅行を強行しており、さらにペンザンス駅から1時間30分歩いてマウゼルまで来たらしい。今日の夜行バスでロンドンに帰るらしく、そのガッツには、自分も負けていられないと刺激を受けた。
ちなみに、スターゲイジーパイの提供は、例年2度実施される。第二部は16時30分開始ということで、残念ながら見届けることは叶わなかったが、時間が深くなるにつれ、より多くの地元の人々が終結し、パブ内はとんでもない人口密度に。地元のお祭りをより濃密に味わうならば、後半戦への参加がおすすめかもしれない。
オシャレな雑貨屋さんが沢山
パブ以外にも、マウゼルならではの室内装飾、ポストカード、オーナメントなどを販売した雑貨屋が複数あった。概ね昼過ぎから開店。
後ろ髪引かれつつ、帰路へ
点灯したスターゲイジーパイのイルミネーションも見たかったが、帰りの電車を逃すわけにはいかない。往路もそうだったが、英国のバスは平気で数本来なかったり、渋滞で数倍時間が掛かったりするので、公共交通機関を利用する際には、ある程度の余裕を見込んで旅程を組む必要がある。
一緒にバスを待っていたおばあ様曰く、恐らく17時にイルミネーションが点灯されるらしい(おばあ様は雨に耐えかねて帰宅とのこと)。
また、トム・ボーコック・イヴ当日の夜には、ランタンフェスティバルが開催される。周囲が闇に包まれるにつれ、昼間の閑散とした雰囲気はどこへやら、家族連れが続々と集結。トムを祭りたい気持ちは山々だが、クリスマスイヴを潰してしまっては、さすがに家族に怒られる。
おばあ様曰く、17時以降は、ライトアップで街中が混みあうため、終点のバス停がひとつ手前になる、と運転手が言っていたらしい。16時30分、待てども待てどもバスは来ず、一応手前のバス停に行ってみたところ、まさにバスがペンザンス駅へと引き返すところだった。慌てて乗り込んで、下で待っている人がいることを伝えたものの、「混んでるから行かないよ~」と一言。イギリスの公共サービス、本当に適当。ごめん、おばあちゃん。罪悪感を抱えながら、一人バスに乗り込むのだった。でもきっと、ライトアップを見れたはず…。
こうして、復路は無事遅延に遭いつつ、6時間電車に揺られるのだった。
総括
スターゲイジーパイの正体
スターゲイジーパイは、イギリスを代表するおふざけ飯マズ料理ではない。
飢饉を救った英雄を称えるために、一年にたった一度だけ、12月23日にのみ食される行事食である。
また、現在では、その伝承が伝えられたマウゼルのたった1軒のパブでしか提供されていない地域食でもある。
また、結構、美味しい。
費用まとめ
全くもって、割には合わない。
旅程まとめ
備忘録
今回訪問させていただいたパブ「Shipp Inn Mousehole」の公式サイトは以下の通り。
例年、12月23日のパイ提供は2回行われるが、その時刻は年によってまちまちである。確実にセレモニーを見るためには、空いている第一部を狙って正午までに着席することをおすすめする。
ただし、夜には、イルミネーション点灯とランタンフェスティバルも実施される。トム・ボーコック・イヴを祝うという意味では、ぜひ夜間の部にも参加したかったところ。
Ship Innはパブだけではなく、ホテルも運営している。空室さえあれば、ここに宿泊したかった。
トム・ボーコック・イヴは、あくまで地域のお祭りであるという点を忘れないようにしたい。不必要に大人数で押しかけることなく、地域の人々を尊重する気持ちを忘れないようにすることが重要。観光客の軽率な行いで、こうした伝統が途切れてしまう可能性を忘れないようにしたい。