海RAKU炎

「思っている事」を「文および文章で伝える事」の難しさを自分なりに追い続けてみようと思います。

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「思っている事」を「文および文章で伝える事」の難しさを自分なりに追い続けてみようと思います。

最近の記事

万年筆

今時、筆記用具としての万年筆を使って文字を書いておられる方はどの位いらっしゃるのだろうか? 午前中、一筆箋に何か一文をと思い万年筆のキャップを外して書こうと思ったら、残念インク切れだった。インクカートリッジを取り換えてと考えたがはてこれ以後万年筆を使うだろうか?考えあぐねた結果、筆先を洗ってしばしの別れと相成った。 今の御時世、事は全てといっても過言ではないほど携帯電話で間に合ってしまう。メール、添付写真、みな手中にある。 自分自身も年賀状は一昨年から出していない。ブロ

    • 恥ずかしながら

      本日こどもの日。2月に生まれた孫の顔を見に行った。 この約10日間、内臓器官に炎症をおこし入院していた。幸い大事にならず、本人も知ってか知らずか至って元気で昨日退院。えへらえへらと終始笑顔で四肢をリズミカルに動かしてご満悦の様子だった。良きかな。 孫の話? ではない。   ざっとこの三十年、5月のゴールデンウィーク時にこの様に自宅にいた事は無い。かと言って、遊びに出かけたわけでも無い。でわ何? 仕事をしていたのだ。 私が住み暮らすこの町は北関東では最大の窯業地だ。私もや

      • こんな私に時間を割いて下さって

        人生も終盤を迎える時期になると、色々な事に「ケリをつける」時、があるようだ。やれ断捨離だ、終活だ、と大騒ぎをしている内はまだまだ若い証拠なのかもしれない。みんなで何かしよう、みんなで集おう食べよう考えようといったような事からは今迄極力避けて通ってきた。ゆえに仕事もひとり、現実には女房とふたりで今も続けているが、「ひとりの時間の大切さ」なども少しは理解しているつもりだ。 東京で某レンタルギャラリーの場を利用して、ある講座を隔月で催していたが、このコロナ禍で長らく休業中だ。その

        • 忘れて欲しくないな

          器を作り続けている。皿類・鉢類・カップ類etc。器の世界=陶芸の世界は奥深くかつ広い。数物と称して同寸法のものを次から次へと作り出す手わざ。一品ものと銘打ち、これこそはここだけにしかないもの、と気迫をより以上に込めて作りだすもの。どれもこれも、長年の経験と努力の積み重ねだと、日々轆轤を回している時に思う時がある。偉そうに言うわけでは無い。 この仕事はそのように時間をかけてやっと何某かの形を成し得る世界だ、という事が最近わかった。そのような人生を歩いた事が幸か不幸か、成功か失

          やきものやの迷走

          やきものやとして40年以上を過ごしてきた。 去年今年とコロナ禍の中、作品発表(ギャラリー活動)・陶芸教室等の仕事は全て現在休止中。よく生きていると思う。元々この仕事は普段他人(ひと)と接触する時間はほとんど無いので、ひとが集まる場所へわざわざ出かけたり、外食をしたりという時間は私には無かったので、言ってみればいつもどおりの時間割を過ごしているわけなのだが。 若い頃からの時間を考えてみれば、年に多くて3回展示会活動をしていた時がある。4か月に一度、どこかのギャラリーで新作の

          やきものやの迷走

          thinking

          考える。思う。 人として当然のこと。去年一年多分みなさんも様々な事を考えた事と思う。普通に普段どおりに、という事がなかなか難しい年でもあった。見えるもの或いは情報が既にあって理解できるものならば、対処の仕様があるものだが、何せ「見えない」しかも「害を及ぼす」のだから始末に負えない。 去年だけにとどまらず、今現在もこの「厄介者」はこの世を自由に往き来している。何ともつかみどころのない奴か。身体の根本にはびこり、人間の機能をマヒさせ、最悪の場合死をもたらす。 元々は東京もん

          burning

          火をあつかう仕事をしている。これから約30時間、火とにらめっこである。冬は大きなストーブ替わりでいいでしょ、と言われるが、此処は意外と寒いのです。寒さが嫌いという事もあるのですが。大きな火はあるのだが.....寒い。 今年はどの畑で仕事をする人々もすっかり「コロナ」にしてやられた。さらに厳しいのはこれからだ、と身構えてはいるが一体いつまでこの状態は続くのだろうか?人と会わない。外食は避ける。うがい手洗いディスタンス、三種の神器を守ってるが、都会の風景を見ていると、いくら何で

          Making

          「モノ作りの世界」に身をおいている。「物」があふれかえるこの時代、結構ここに処すには心底シンドイと感じる。 言ってみれば、モノを産み続けながら生計を立ててゆく人生。長年ここに身を処す事によって、左から右、下から上へと全方位が見渡せるようになる。「モノ作りの世界」なんだから作っていりゃいいだろ?そうもいかないのである。モノが製品あるいは作品になり、それを今度は売らなければ生活が成り立たない。売買のノウハウを覚えるわけである。原価卸値売値etc、アーティスト気分だけでやっていれ

          Reading

          この仕事をする為に東京から此処へ移り住んで34年が過ぎた。未だに地元の事はよくわからない。知ろうとしていないせいだろう。自分の仕事以外の畑の事も知らなければ、と参考資料の為もありこれまで様々な本は読んできた。元々読むことが嫌いではないので、若い頃は一部屋に一冊づつ読んでいる本があった。今はそれ程ではないが.....。 何年ぶりだろう?ある「漫画」を今読み終えた。コミックと言っても良いのだが、やはり私のような年代からすると「漫画」と言った方が心にしっくりくる。 「岳」という

          Writing

          筆記具を使って文字を書かなくなって久しい。全く、ではないが。 はがきも手紙もだ。去年から年賀状も書かなくなった。自筆の便りに取って代わったのが「メール」だ。文字を「書く行為」ではなく、「活字を拾う」行為だ。活字には型がある。時と場合によって又相手によって、そのタイプを使い分ける。 男っぽい字だな、なるほど女性らしい優しさのある字だね、などという事は全くない。男女問わず選ばれた活字を拾えば、統一のとれた文および文章になる。誠に現代にマッチしたツールと言えよう。味気ないといえ

          Walking

          67歳。 男性。 自営業。 朝5時半起きで女房と二人walkingを始めてもうじき四ヶ月になる。毎日約一時間ちょっとは黙々と歩いている。歩くことで普段気付かなかった事が結構あるなと最近感じている。 仕事柄他人と出会う事は稀だ。 この時期、早朝歩いていてもそうは人とは出会わない。何人かの御常連とはおはようございますの挨拶を交わす程度だ。私たちを含めて皆どちらかと言えば速足で歩いている。 朝焼け、太陽の昇るほんの少し前。あの空の微妙な色合いは何とも形容しがたく又それ以上に