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【漫画を哲学する・前編】最後の楽園ONEPIECEが示す「生き方の提案」


はじめに

3月4日に最新刊111巻が発売されると発表されたONEPIECE。連続長編作品がこれ程長い年月続くこと自体珍しいが、それだけではなく幅広い世代から絶大な人気を保持し続けていることも、漫画史上異例だろう。
長年多くの考察が繰り広げられているが、こういった楽しみ方ができる漫画はONEPIECE以外にこの先現れないだろう。今回はその理由を、以下の順序で書き連ねていこうと思う。

①前半の成功を元に、ある程度ストーリーフレームが予測可能になるよう構成されている。(歴史を踏襲したフォルマリズム)
②現代人は待てなくなっており、10年以上かけて「伏線」をはれなくなった。(現代病・インスタンティズム)

歴史を踏襲したフォルマリズム

前後半におけるストーリーリンク

私がONEPIECEに出会ったのは小学生の頃。マリンフォード頂上戦争の連載時期だったが、10年以上経った今もまだルフィは黒ひげ・赤犬と再戦はおろか、再会すらしていない。伏線張りすぎてもはや回収できひんやろ!と思う一方飽きることは決してない。頂上戦争編は、いわばこの漫画の中間地点かつ「クライマックスのちょい見せ」的な位置付けがなされている。その後の物語は、マリンフォードを超える一大事件(クライマックス)に向けて、前半をオマージュとして対比的に展開されている。

そう、後半の物語はストーリー舞台単位でフレームを予測できるよう作られている。前半を見れば後半の次の舞台や展開がある程度見えるということだ。(つまりそろそろマリンフォードにあたる一大事件が起こるはず…

端から端まで整合性の取れた宇宙を構築する

尾田先生はかつてこんなことを述べていた。

僕が子どものころに読んでいた週刊少年連載漫画というのは、たいていストーリーのつじつまが合っていなかった。
僕が大好きだったのは「キン肉マン」ですね。当時の漫画って、先週「新キャラ登場!」といってたくさん登場したキャラクターが、次週には平然といなくなっていたりするんですよ。漫画家さんたちも、面白さを優先したいからつじつまに関係なく描くし、子どもはそれを全然気にせず受け入れるんですね。それが昔の連載漫画だったんです。
だから、僕は漫画家になったとき、きちんとつじつまを合わせた物語を作ってみたいと思ったんです過去と未来をつなげて作ることを個性にしたのが、僕が描いている『ONEPIECE」という漫画です。

現代ではみんな口うるさくなったというか、矛盾をより細かく指摘する人が偉い、みたいな風潮になってしまった。かつて「少年ジャンプ」は少年だけのものだったけど、いまは大人も読むようになったからかな。作り手も、大人を納得させるためには、つじつまを整理しなきゃならなくなるんじゃないですか。僕もその一因という気もするんですが。でも、物語を作るのに、話がつながっていなきゃいけないとか、伏線をちゃんと張らなきゃいけないとか、そんなルールはそもそもないはずなんです。

僕はひとつの挑戦としてつじつまの合う物語を作ってみたかっただけなので。本来、もっと自由でいいはずなんです。人を楽しませようとするときに生まれるものは、「クルミわりとネズミの王さま」のような、自由な発想だと思うんですよ。

スタジオジブリ発行『熱風(GHIBLI)』7月号

漫画家には、インスタントなお笑いや繊細な心理描写、巧みなトリックなど、物語を通して重きを置きたい軸がある。尾田先生にとっての軸は
整合性の取れた世界の構築
(単なるバトルフィールドではなく、異世界ながらも合理的な自然現象を持った世界を描く)

納得できる人間の行動原理を描写する
(一見特異な生き方も、人物の過去を見れば納得できるように描く)

といったことろだと私は感じている。

②について、例えばドフラミンゴの仲間・セニョールピンク。初登場時にはビジュアルの圧倒的キャラクター性が目立ったが、過去に目を向けるとその姿に納得できる。

いわば新たな物理法則を持つ宇宙の構築
ONEPIECEにて尾田先生が成し遂げたいことなのだ。

さらに注目すべきは、徹底してこれらの軸を貫いていることである。例に挙げたセニョール・ピンクのビジュアルに関しては「漫画だから」で済ませても許される気もしたが、そこもしっかり辻褄を合わせていく。

我々読者は、ONEPIECEの王道バトル漫画的側面に加え、「前半の海で散りばめられた世界の謎」や「キャラクターの過去と現在」がバチバチと繋がっていくこの物理法則の存在に、サイエンスファンタジーやヒューマンミステリーを感じるのではないだろうか。この三重(バトル+SF+HM)のパフォーマンスを使い分けることで、見事に飽きさせることなく読者の心を鷲掴みにしているわけだ。特に長年バックグラウンドのように思えていたSF要素は、今や「世界の謎」として物語の中核になり、冒険感を際立たせている

予測されることも予測している?

しかし超合理主義がモットーである限り、既出情報の整理によって今後の展開が予測されてしまう。
数年前、ONEPIECE考察系Youtuberのドロピザが「ルフィが食べたのはゴムゴムの実ではなくヒトヒトの実モデルニカ」だと予測し、見事的中させた。

尾田先生は考察を一切見ないようにしているらしいが、流石に考察されていることには気づいているだろう。では考察を意識してミスリードを増やしたりフェイントをかけたりするかと言えば、多分そんなことはしない(してほしくない笑)。おそらく、「先の展開を見透かされても構わない。予測が的中された上で尚面白くなるように描く。むしろ予測を楽しんでください!」と考えているのではないだろうか?
その意志が、魚人島編以降の前半オマージュの物語構築に現れている。
すごいのは、予測できることがただのネタバレになるのではなく、ハンパない期待に繋がっていることだ。「今連載中のエルバフ編はアマゾン・リリー編か?前半でインペルダウン→頂上戦争とくるから、、、これからやばいことになるぞ!!!」とまだ連載もされていない展開に興奮している私がまさにそうだ。

ある程度予測されやすいように描くというのは、何もシラけることばかりではない。しかしまあこんな芸当ができるのは、10年の人気を得たONEPIECEだからであり、0ベースで同じことは不可能だ。いや、今後考察されても痛くも痒くもないなんて漫画が生まれることはないだろう

少し長くなりすぎてしまった。後半の記事に続きをまとめたので是非そちらの方も読んでみてください!↓↓


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