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【漫画を哲学する・後編】最後の楽園ONEPIECEが示す「生き方の提案」
ONEPIECEのような漫画が今後生まれないのはなぜなのか。本記事では前半を踏まえ、その理由と全体のまとめを書き連ねていく。
現代病・インスタンティズム
「短く駆け抜けるような興奮」を求める時代
結論から述べると、ONEPIECEのような漫画が最初て最後なのは、10年もかけて伏線を張ることができない時代になったからだ。私たちは、待てなくなったのです。
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スマホひとつですぐにほしい情報にリンクできる、なんていうのは序の口。
エンタメに触れる際、効率を重視した結果「早く展開を知りたい病」にかかった若者があまりにも増えすぎた。スマホで動画を見る際に倍速再生で流したり、映画を観に行く前にネタバレサイトでストーリーを確認し面白そうな場合のみ足を運んだり、美味しいところだけをなるべく効率的に摂取したがる(インスタンティズム)。
1時間のストーリーでさえじっとしていられない効率厨の我々が、10年近い伏線に耐えられるはずがない!
今後生まれる漫画作品は、せいぜい10巻前後で話を完結させなければ読者がついてこない。
伏線張りには時間がかかる
またこのインスタンティズムでは「結局何が言いたい話なの」か早く把握したいため、ONEPIECEのようにバトルとファンタジーとヒューマンミステリーという三側面の面白さを並行させようものならば、「何が言いたい作品なのかよくわからない」と早々に見限られてしまうだろう。
私自身、ONEPIECEやロードオブザリング、進撃の巨人のような超世界観ベースのファンタジー漫画を描こうとしたことがあるが、ファンタジーである限り「特殊な設定(ルール)」を語る義務から逃れられなかった。
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超イマジネーション世界のファンタジーでは、自然法則・地理的特徴・生物の存在・社会制度など、リアル漫画ではすべて説明を省ける前提を、ひと通り読者に伝えるフェイズを挟まなければならない。少しでも説明的だと飽きられる。巧く登場人物の言動とリンクさせるなど、世界観的面白さ以外の面白ポイントを描写する必要がある。(これめっちゃ難易度高いです。しれっと当たり前のように異生物を登場させて物語を進めるなど、いくつか方法はありますが、私は途中で諦めてしまいました。)
とにかくONEPIECEと同じくらい壮大な想像世界を展開するには、それなりの時間がかかるが、今の読者はそんな長い時間付き合ってはくれない。故に、ONEPIECEは伏線だらけの長編ファンタジー漫画、最後の楽園なのだ。
優等生漫画は「デスノート」
現代人がギリ付き合ってくれそうな塩梅の尺と面白さを持ち合わせた漫画が、デスノートだ。7巻を境とする12巻構成で、趣旨は頭脳戦1本と明瞭。デスノートという「ファンタジー」は介入するものの、実世界をフィールドとするため説明はノートのみ。中核に関わる重要な前提は、第一話で解説完了する。
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これくらい短く駆け抜ける漫画なら、すぐに物語の本質に突入するから読者も痺れを切らさない。ニーズを把握する、とはこういうことなのだ。簡潔にストーリースタイル(バトルなのか、ファンタジーなのか、ヒューマンドラマなのか)を読者に把握してもらい、直ちに向かうべきゴールに向けて本質的な物語を進めていく。例えばラスボスを第一話で出し、早めに主人公の目的に共感してもらうとか。最後の目的が最初に見えること、自分(読者)がどに向かって走ってるのか理解していないと読んでいられなくなるのが、現代の漫画読者の傾向なのだ。
鷲田清一『待つということ』
哲学者・鷲田清一は、待つことは相手への信頼であると述べている。
患者の回復を待つ医者、子どもの成長を見守る親など、待つことが不可欠な場面では、単に時間を費やすのではなく、相手の存在や変化を受け入れ尊重することが求められる。
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ONEPIECEがこんなにも広大なスケールの伏線を張り、今その回収ができているという現状は、10年前の読者が今ほど、全てに意味を求めるようなシビアなジャッジをしていなかったことを示唆しているのではないだろうか?ある意味で寛容だった。だが尾田先生がインタビューで述べるように、読者の年齢層が上がるにつれて合理性が追求されるようになっていった。ネット上の議論も盛んになり、「ただfunnyだけを求める漫画」は淘汰されていった。まあまあそんなに慌てず。ちゃんと面白くなるから。「見守り期間」があってもいいじゃない。そういった読者の優しさがあれば、ONEPIECEが終わった後にも後継となるような漫画は生まれるかもしれない。
待つことでしか味わえない感覚
効率的ですぐに結果を知りたがるようになった我々は、やや不幸になったのではなかろうか?
いわばインスタントラーメンばかり食ってるような日々だ。
長蛇の列を並んで食べるラーメンが、ちょっと美味しくなるあの感覚を、取り戻したいものである。夜行バスに揺られ日本横断して恋人に会いに行くとき、彼・彼女に思いを馳せるだろう。その時間はきっと退屈ではないはずだ。
幸いONEPIECEという漫画は、そんな時間がまだ広く「生き」ていた時代に生まれた。そして尾田先生は自身のポリシーから、しっかり整合性の取れた展開を用意してくるため予想し甲斐がある。その結果を待つ間にあーだこーだ考察する時間は、何者にも変え難い充実感を我々に与えてくれた。そういった意味で、この漫画は「待つこと」を最大限まで実りあるものにさせてくれる最後の楽園なのだ。尾田先生がペンを置いた後に、そんな漫画をまた勝手に描いてみるのも一興かもしれない。