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第54話 『万引き』(BJ・お題 『トラウマ』)


 ――中野ブロードウェイの前できょろきょろ見回しているんだよ。それから引き返して、前を覗き込んで、立つの。また離れて、また同じところに近づいて、で、結局女は――
 喫茶店で男が話しているのに、私は聞き耳を立てた。もしや、と思い立ち上がった。

*     *     *

『絵樹』というアニメ専門店の人ごみにミヤコという学校の派手な子がいました。見てはいけない、という直感は正解でした。すぐに目を伏せれば、お互いに見られたくないところを見ずに済んだのに。
 彼女は視線を感じてしまったのでしょう。体をこちらに向け、睨んできた。あたしは固まってしまいました。
 あたしは、彼女の記憶に残ったのでした。

 それから一週間後。また『絵樹』に行きました。
「麻月さん」
 彼女が後ろにいたんです。あたしは恐ろしくなりました。
「あたしも、この店好きなの。今日はなにを買いに来たの?」
 あたしはだまっていましたが、手に持っていたブルーレイの引換券を取られました。
「ね。あたしに融通聞かせてほしーんだけれど」
 その頃ソフトカツアゲというのが流行っていて、そのセリフが「融通きかせて」でした。
「これ、買いに来たんじゃん?なら今日はお金あるよね」
 ないわけないのに、首を振りました。
「ね。返してほしいよね。今日まで待っていたんだもんね」
 彼女もまたこの日を待っていたということに、あたしは気づきました。あたしがお金を持ってくる日を、彼女はチェックしていたのです。ブルーレイの販売日を。
「そういうもんだよね。腐女子って。じゃあさあ。万引きをしなよ。腐女子仲間」
 ミヤコは、ワゴンから小さなぬいぐるみを彼女のカバンに入れました。
「見ちゃったでしょ。もう。後戻りはできないよ。ねえ、もう融通の件はいいからさ。麻月さんもパクってこないと。あたしの秘密知っちゃったわけじゃん。だからさあ、ね」
 その後あっけなくあたしの万引きが店員に見つかるのを、ミヤコは見ていたはずでした。彼女は笑っていました。
 裏の狭い部屋に連れられ、学生証を取り上げられました。
「弁償してもらおうか」
 トキタという店員は言いました。
「ありません。これは返します」
「ばかやろう。万引きしておいて、ただ返せば済むと思っているのかよ」
 よほどミヤコの名を出そうかと思いましたが、できませんでした。
「十倍の額を出してもらわなきゃ割に合わないよ」
 あたしは真っ先に、体を売らなければならない、と思いました。
店員に「あたしを買ってください」と震える声で言いました。驚かれるかと思っていたら、彼はにやりとしました。それであたしは「一回三万円なんです」とふっかけました。
 交渉はあっけなく成立しました。
 あたしはホテルに行くものだと思っていました。でも男は、『絵樹』の従業員トイレにあたしを連れて行き、あたしのパンツを下ろしたのです。一瞬悲鳴をあげたら怒られました。でもやっぱりひどいと思いました。
 従業員トイレとは好都合でした。果物ナイフで男の背中を刺しました。声を出されないように、首も刺そうと思いましたが、ナイフは抜けなくなっていました。
 男の顔が急に青くなっていました。それ以上は思い出せません。見なかったようにしたのか、頭がすべてを忘れようとしているのか。
 あたしは悪くありません。

*     *     *

 私は喫茶店で男が話していた場所に走って行った。
彼の言った通り、女がいた。きょろきょろ見回し、引き返して、前を覗き込んで、立って、離れて、また同じところに近づく女は――遠い昔、先輩に万引きをさせられていたあの子だった。

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