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多生の縁、以上の縁

袖振り合うも多生の縁 という諺があるが、
袖が触れる程度の縁なら、日常であまり意識しないだろう。

しかし、2~3日同じ場所で時を過ごした人とは、どれくらいの縁になるのだろう。

縁がある、はよく聞く。
縁が深い、とかあまり聞かない。

縁は、ある、か、ない、の2択なのだろうか。
薄い縁、縁遠い、地縁、奇縁、縁故、因縁…等々、調べればたくさんあるが、
その中でも、まさに奇縁というのに出くわしたことがあった。

海外行きの飛行機で隣り合った席の年配の人と行き先が同じ、滞在日もほとんど重なる、という奇縁だった。
それもそのはずで、狭い業界の関係者だったのだ。

その人が別の地へ旅立つ前日、あるものを渡された。
これは出会った人みんなに渡してるんだ、とその人は言ったので、私は何も考えずに受け取った。

帰国後、一度会おうと誘われたが、別の用事があったので丁重にお断りしてしまった。
その人は翌年、亡くなったので、縁はそこで途切れた。

でも、私は何年も後になって、その人に渡された紙に切実なメッセージが込められていたことに気づいた。

なぜ、あの時、長年携わってこられたテーマの重要さを口にしてくれなかったのか。
私が頼りないと思われたからか、はたまた分野が違うからと思われたからだろうか、
なぜ、会おうと言われたとき、断ってしまったのか(ひどく後悔した)

一枚の紙に込められた願いは大きすぎるもので、確かに今の自分一人には抱えきれない。
きっと、それをわかっていたから、口にすることを躊躇ったのかもしれない。

私はその意志をわずかでも受け取ることにした。
後悔がそうさせているのかもしれない。
今は少しずつ和紙を繋ぎ合わせてみている。

誰に話せば、伝えていけるかわからない。
だから、形にしてみようと思った。
想いを繋げるために。
これで繋げられるかはわからない。
でも、やってみている。

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なほこ500
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