受けた言葉に迷うときは
私は私のままでいいということを、大人になるまでは誰も教えてくれなかった。
親からは何かと、規則正しく在ることを求められ、成績や態度を近所の同級生と比べられ、安定という名の不確かを、定義すら教わらないまま押し付けられてきた。
大人になると、インターネットを介して知り合った心優しい方々に支えられて、「あなたはあなたのままでいい」というような、優しい言葉をたくさんいただいてきた。無論、それは言葉のみならず、作品や生き様からも。むしろ、その場合がほとんどである。
どうして、こういうことを知るのは大人になってからなのだろうか。
ふと考えてみると、やっぱり〝距離感〟なのだろうなと思うのだ。
身近な人ほど、自分のことを大切に思ってくれるものである。
親兄弟親戚、同郷の友。
大切だから、危ない橋は渡らせたくない。
おそらくそうなのであろう。
人間の心情として、とてもよく理解できる。
一方で、大人になってから出逢った人というのは良くも悪くも、距離感が近々まで近くなることはない。
いつまで経っても敬語は抜けないし、部活をやっていたときほど長い時間を共にするなんてこともない。
「10代の頃のような友達はもうできない」という言葉もあるが、まさにである。
いい意味で、自分の人生に期待も失望もしてくれない。
だから、無責任に一見前向きな言葉をかけてくれるのだと思う。
皮肉な話、
学生時代は、あれだけうざったく感じていた親だったが、あれほど自分を大切に想ってくれる人とはもう二度と出逢えないのである。
ものは捉えようだ。
まぁ、無責任でいてくれて構わない。
自分の人生の責任は結局、自分しか取れないのだから。
けれど、じゃあ、自分の子どもには無責任でいられるだろうかと考えると、
私には子どもはいないが、「否」と想像できる。
きっと大方、自分の親と同じような態度になるのであろう。
人生は難しい。
無責任に前向きな言葉を投げかけてくれる人が、本当にいい人なのだろうか。
身近な人の自分を縛り付けるような言葉は、本当に毒なのだろうか。
考える。
考える。
どちらにせよ、相手の言葉をそのまま鵜呑みにすることだけは、絶対に間違っているのである。
でなければ、自分が自分で在る意味がない。
相手の言葉を受けるには自分が必要なのである。
相手の言葉を解釈し、相手の氣持ちを汲み、その上で、自分はどうしたいかと問いかけ、決断し、実行する。
それが自分だし、その足跡が自分をつくっていくのであって、
そうでなければ、誰かに言われたままに動くロボットでいいわけだから。
つまり、
どんな言葉を受けようとも、
私は私のままでいいのである。
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3月22日
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