諦めるなの誘惑と負けを認める重要性
負けを認めることの重要性を、ここ最近感じている。
「夢を諦めるな」
そんな、背中を押してくれる言葉が世の中には溢れている。時には漫画だったり、時には歌だったり、時には名言だったり。至る所にその言葉は潜んでいる。僕も夢を諦めそうになるたびに、誰かの「夢を諦めるな」に、背中を押されてきたうちの1人だ。
その言葉に触れるたび、「こんな自分でもまだ可能性はあるんだ」なんて思って、自分を奮い立たせていた。でもそれは、案外危険なことだったかもしれない。
漫画家を目指し、20歳から漫画を描き始めて9年が経つ。26歳まで出版社に漫画を持ち込む日々を繰り返し、27歳から個人で漫画活動をしているが、まだ漫画家らしい実績は何も手にしていない。
これまで何度も夢を諦めかけた。その度にまた立ち上がっては、歩みを進めてきた。
そんな歩みを振り返ってみると、〝人生が大きく変化したのは負けを認めたあとだった〟と感じるのだ。
夢を諦めかけたときの感情は2種類あった。
なんとなく諦めようと思ったときと、本気で諦めようと思ったときだ。
なんとなく夢を諦めようと思ったのは、23〜25歳までの間に何度かあった。それは、自分の実力のなさを実感したときや、周りの「夢なんか叶わない」みたいな声に惑わされたときだった。たいした理由はなく、ただ自分に自信がなかっただけだった。
僕は弱気になっては、誰かの「夢を諦めるな」に勇気づけられ、また歩き出していた。「こんな自分でもまだ可能性はあるんだ」なんて思い、また前を向いて同じ日々を繰り返した。
25歳のとき、初めて本気で漫画家の夢を諦めようと思った。想像していた未来の自分と現実が、あまりにもかけ離れていたことへのショックからだった。
漫画家を本気で目指し始めた20歳前後の僕は、未来の僕をこんなふうに想像していた。「25歳までには漫画賞を受賞していて、27歳までには雑誌連載をしていて、30歳までには売れていて…」
しかし現実はそうではなかった。25歳になった僕は、賞の一つも取れず、カラオケ店で夜勤のアルバイトを週5でこなしていた。
同い年の就職した友達は、それなりに給料も上がって順調そうだった。結婚した人も何人かいた。それなのに僕は、25歳になってもフリーター。一緒に夢を追っていた友達たちも、25歳というのを理由に次々と夢を諦め、地元に帰ったり、就職活動をしたりしていた。
僕は初めて真剣に、夢を諦めるかどうか悩んだ。ハゲるくらい悩んだ。半年くらいは悩んでいた。別にハゲなかったけど。結局諦めないことを選択するのだが、今までと違う点は、〝負けを認めた〟ことだ。
同じ諦めないにしても、このまま出版社に通い続けても、今の僕では結果を残せないと思った。「競争社会では勝てない」僕に雑誌連載を勝ち取る力はないと判断した。
負けを認めたのだ。
じゃあどうすれば僕は漫画家になれるのか、ない頭を精一杯使って考えた。その結果導き出した選択肢が、インターネットを主戦場とした個人漫画活動。今やっている活動だ。
27歳の年になって、出版社に通うのを一切やめた。1人でブログを開設し漫画を投稿した。「お腹すいた」くらいしか呟くことを知らなかったTwitterで、目一杯発信した。
すると、そこそこ注目された。Twitterのフォロワー数は1年で2000人くらいまで伸びただろうか。ブログにも毎月500人くらいの人が訪れてくれていたと思う。しっかり調べるのがめんどくさいので大体で許してほしい。
ブログの漫画がバズって1日で50万PVいったり、Twitterに投稿した漫画が1.2万RTもいただけてYahoo!ニュースに掲載されたりとか、そんなことも経験した。メジャーで活躍した漫画家さんも何人か注目してくださった。
出版社に通っていた頃の僕からはとてもじゃないけど考えられない。誰かに注目されることなんてなかったから驚きだ。
6年間出版社に通って実績ゼロだった僕にしては、そこそこうまくやれたと思う。
あのまま出版社に通い続けていたらこうはなっていなかった。多分今でも、うだつの上がらない漫画家志望だ。担当さんにやーやー言われながらひたすら受賞もできないネームを切っているに違いない。
もうひとつ、負けを認めた出来事が最近あった。
昨年の2月、「漫画で食べていく」と豪語し漫画制作事業を立ち上げた。それから1年半、なんだかんだ漫画で食えていたのだが、疲弊してついこの間挫折してしまった。そのとき、昨年2月の、「漫画で食べていく」と宣言した自分に負けたことを強く意識した。
僕はまた反省をした。なぜうまくいかなかったのか。原因を探り、内省を繰り返し、自分なりの答えのカケラを見出した。まだ完全ではないが、とりあえず自分の在り方は定まった。今は本を読むなりして、大人しくしているが、また資本主義に立ち向かおうとしている。
強くなろうとしている最中だ。
これも負けを認めなかったら、きっとまた同じことを繰り返していたに違いない。
負けを認めることで大きく成長する。それは人はもちろん、国もそうだ。戦争で勝った国は緩やかに衰退し、負けた国は急な経済成長を遂げることは歴史が証明している。高度経済成長の日本がまさにそうだった。
負けを認め、原因を探り、内省を繰り返し答えを見出す。
そうやって人は前に進んでいくのだと思う。
夢を諦めないことは素晴らしいことだ。本気でそう思う。ただ、過去の僕が、「もし負けを認めていなかったら」と思うとちょっと恐ろしい。反省をせず、変化せず、同じことを繰り返していたらどんな人生が待っていただろうか。
「夢を諦めるな」という言葉には、ついつい甘えてしまいたくなる。「こんな自分でも、諦めなければまだ可能性はあるんだ」と思う気持ちは、本当によくわかる。僕もその言葉に何度も甘えた。でも、もしあなたが夢を追い、何年も同じことを繰り返し、現状が全く変わっていないのであれば、一度立ち止まって、僕のような視点でこれまでを振り返ってみるのもいいかもしれない。
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