ビジネスで作ったコンテンツに魂は宿るのか
ビジネスは、相手のために全力を尽くすと
アートは、自分ととことん向き合うこと
と仮定しているここ最近。
ビジネスで作ったコンテンツに魂は宿るのか?なんて疑問を抱いている。
先述した通り、ビジネスは相手のために全力を尽くすことだ。
どんな作品も、ビジネス要素が入っていないとお金を払ってもらえない。
作品に価値を感じた人がお金を払ってくれるから、アーティストは生きていける。しかし、誰かに価値を感じてもらう作品を作るためには、少なからず相手のことを考えて作らなければならない。作品にお金を払ってくれたということは、相手のためになったということで、必然的にビジネスをしていたことになる。
どんなアートも、売れた時点でビジネスだというのが最近の持論だ。ちょっと極論すぎることは自覚している。
いま世に出てる、いわゆる〝売れている作品〟は、相手のために全力を尽くした作品じゃないかと考えている。
商業作品なのだから、売るためのコンテンツを作るのは当然だ。ビジネスで作品を作ることはごく自然なことだ。
そんなことを考えていると、ビジネスにどこまで魂が宿るのかと不思議に思う。
先述した通り、アートとは、とことん自分と向き合うことだ。自分の感情や思考と向き合い、醜い部分を受け止め、傷をえぐり、願望をむき出しにし、自己満足の塊を表現するのがアートだと思っている。
自分ととことん向き合って生み出した作品に、ビジネスが入る余地はないはずだ。
極論だが、100%自分のためだけに作った作品は、誰にも理解してもらえないと思っている。故に、お金を払う人もいない。そのアートには価値がつかない。
わかっている。極論がすぎるのは許して欲しい。
例えば、その作品に100人中1人がお金を払ってくれたなら、それはアート99%、ビジネス1%の作品だろう。
その作品に、100人中100人がお金を払ってくれたなら、それはビジネス100%の作品だと思う。100%相手に迎合して作った作品だ。
そう考えると、いま世に出ている、いわゆる〝売れている作品〟に、果たして魂はどれだけ宿っているのだろうか、なんて思うのだ。
ビジネスは、相手のために全力を尽くすと
アートは、自分ととことん向き合うこと
売るためにはアートを削り、ビジネスを足さなければならない。しかし、アートを削らなければならないから、宿せる魂も削らなければならない。
本当にいい作品とは何なのだろうか。
一体どこまで相手に迎合すれば、僕はアートで生きていけるのだろうか。
そんな、多くの人にとってどうでもいいことをぐるぐると考え、誰のためにもならない記事を書いて投稿している今日このごろである。
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かいち
漫画家|9's|代表作『仮想通貨体験記▶︎http://bit.ly/3oWapxk
2020年1月1日から、毎日女子のイラストを描いて投稿しています。現在10ヶ月突破。
漫画力を鍛えるため、短編創作を100本作ることにも挑戦中。
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