「さざなみはいつも凡庸な音がする」 透明さに別れを告げるのは誰か
ノクチルの3つ目のシナリオイベント「さざなみはいつも凡庸な音がする」僕含め、シャニマスのシナリオ好きが予告発表からかなり騒いでいました。各々アイドルユニットの3つ目のシナリオはユニットの転換点となるような話が多いこと、これまでノクチルのシナリオはシャニマスのアイドル観を拡張するような内容だったこと、そしてゲームシナリオに先行したtwitter公式アカウントの乗っ取り企画 などがその理由です。
(まぁ理由なんかなくとも毎回騒いでますが…)
予告でも不穏な「視聴率——0%」というセリフも入っていたり「ノクチルがまた暴れるのか…?」という感じの期待も正直ありました。
そして、いざ初見の感想。
超超あっさりでした。話の起伏を抑えめに作っているなぁと感じました。
それもそのはず。これまでの大作シナリオよりコミュの時間短め、そして話の動きも小さく作ってあったからです。
これは派手な印象がある他のノクチルのシナリオとお仕事実績を比べてみればはっきりします。
・天塵
テレビ出演での雑な扱いに反発して謹慎になり、だれも見ていないイベントでやり直す
・海に出るつもりじゃなかったし
テレビの出演を断って、次のオファーでやり直す
・さざなみはいつも凡庸な音がする
テレビの出演で思ったより跳ねなくて、テレビでもう一度やり直させてもらえることになった(後半は描かれない)
仕事をやり通さず失敗してやり直す がいつものパターンだったんですが、今回は失敗気味ではあるものの仕事をきちんとやり切りました。(偉い!
そしてやり直し部分のテレビ撮影は描かれませんでした。
再撮影まで描いてしまうこともできたと思います。
そうすれば、「失敗→やりなおす!」という分かりやすく起伏のついた成長ストーリーにもできたはずですが、そうしなかった。
そうしなかった理由を二つ
①僕たちは、破天荒ノクチルが見られることをどこかで期待していたと思います。そんな僕たちの気持ちとディレクターの気持ちを同期させて、4人が普通で特別な女の子たちだということを再強調すること。
②小糸には大きな成長がありました。「自分の望みでアイドルをするんだ」ということに自覚的になることです。自分の「欲しいもの」としてPに「次」をお願いできた時点で、次の撮影の話は描く必要もないほどに大きな成長を果たしたよ、というメッセージ。
いつものように再撮影まで話の中に入れてしまえば話の主眼が、撮影映えするにはどうするべきか?になってしまいます。
そうではなく、テーマは雛菜の言葉
「小糸ちゃんがみんなのなってほしい小糸ちゃんになりたいなら
なればいいんじゃない? これから」に集約されています。
物語上は大きな動きが無くさらっとした読み味でしたが、
小糸の「わたしの欲しい物」という気付きはさらりと読み飛ばせない重さを持っています。
それは勿論小糸が迷いなくアイドルとしての道を進んでいくための気付きでもありますが、プロデューサーやファンが、アイドル=ノクチルの在り方を肯定するためのものであったように感じるのです。
天塵ではPが、海出ではアイドル達が、大きな気付きを得ることが物語の
幕引きになっています。
・天塵
アイドルとして注目を浴びていないそのままの彼女たちの輝きに価値がある
・海出
アイドルとして注目を浴びなくとも精一杯努力して「いっぱい生きる」ことに価値がある
売れるよりも重要なことがある、という点は一致していますが、天塵と海出の結論は矛盾を孕んでいるように思えます。
精一杯努力して変わっていってしまえば、そのままで美しかった彼女たちは失われてしまうのではないか。
アイドルプロデュースという仕事は常にこの罪を背負っています。
作中でも、恐らく現実でも、ノクチルのプロデュースに当たるPが悩み続けていることです。
今回のシナリオはこの矛盾に、苦しいながらも回答を出しました。
彼女たち自身の望みであれば、そのままの美しさが失われていくのは仕方のないことだと。
プロデューサーやファンたちが彼女たちを「アイドルに作り替えて」、
ありのままの美しさを失わせるのだとしたら、これは罪深いことです。
これまでのシナリオではこの罪について何度も繰り返し問われていましたが、今回の結論でノクチルのテーマは大きく転換を果たしています。
ありのままで美しかった彼女たちに別れを告げるのが、他でもない彼女たちの望みであるならば、私たちは美しさを失い、そして美しくなっていく彼女たちを見ているだけの傍観者なのです。
たとえプロデューサーが彼女たちが精一杯生きるのを鼓舞しても、ありのままを肯定し守ろうとしても、「変えてしまう罪」を背負うことなど出来ないのです。
その罪も、代償に得る新たな輝きも、すべて彼女たちのものだから。
さよなら、透明だった僕たち——チルアウトノクチルカ
透明な彼女たちを見送るのもまた、彼女たちなのです。