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シャニマス感想 【国道沿いに、憶光年】の3つの疑問点

浅倉透のSSR【国道沿いに、憶光年】に関する妄言です。
①ムービーの太陽の位置おかしいよね?
②火星と太陽が同じってどういう意味?
③タイトルの憶って何?億じゃないの?

感じた3つの疑問に、一応の答えを用意しました。
浅倉透の【国道沿いに、憶光年】、【10個、光】、Landing Pointのネタバレを含んでいます。半笑いで楽しんでいただけると幸いです。

夕日の向きが変わっている

 浅倉透の新SSR【国道沿いに、憶光年】で描かれたのは色の無い夕焼けでした。赤に染まった夕空を見て「あぁ」と思うことはありますが、透のこれは美しいものを美しく描くって段階を超えてますね。降車ボタンにも覚えがありますが、僕らが素通りしていた美しさを教えてくれる透、グー。

 さて、この演出を見ていたらおかしなことに気が付きました。夕日の沈む方向が、カットをまたぐと変わっている。

 1カット目、落日に向かってカーウェディング・カー(名前あってる?)が走る。道のまっすぐ先に太陽があるようです。

1カット目

 2カット目、車に乗った透に画面の右から光が差す。太陽は車の進行方向とは逆、向かって右奥にあるように見えます。

2カット目:画面右奥、車の左後ろから光がさして見える

 3~5カット目、透が靴を脱ぐ。ウェディングドレスを脱ぐ。光の回折と透の動きで太陽の方向は判然としませんが、恐らく1カット目と同じ、道の向かう先に太陽があります。 

 6カット目、止め絵のシーン。太陽がほぼ真っすぐ、道の向かう先であることが分かります。柵が道の左側にしかついていないことにも注目。

6カット目:うつくしい……じゃなかった。太陽は奥ですね。柵は道の左側にだけあります。

 そして問題の7カット目。透が国道を離れ、消える。太陽は透の見つめる先にある。手前には捨てられた服と靴とティアラ、アスファルトの端が見える。アスファルトと柵の柱が手前に映っているので、透が道の左側に走っていったのが確定します。太陽がこの位置に映るのは明らかに変です。

7カット目:止めイラストの後にわざわざ足された、
明らかに違う太陽・空

 収まりがいいところに光源を置いた、で終わる話な気もします。が、柵を左にだけつけて透の位置を確定してくれるところなど、作為的なものを感じます。少し妄想を逞しくして こんな仮説を立ててみました。
1カット目、3~6カット目は朝日を、2カット目と7カット目は夕日を映しているのではないか?」 

 方向の分かりやすい6カット目と7カット目で比較すると、二つの太陽の方向はだいたい120度くらいの開きがあるようです。

太陽との距離考えると縮尺めちゃくちゃな図ですが…。
ふたつの太陽はだいたい120度くらいの開きだと思います。

 「ほな朝日と夕日ちゃうやないかい。東から登って西に沈むんやから。太陽はねぇ、180度で昇り降りするものなんよ」と言いたくなるかもしれないですが、ここで懐かしい理科の授業を思い出してみましょう。 

 ソシャゲの6月、花嫁衣裳、と来るとジューンブライトにばかり目が向きますが、6月にはもっと宇宙的なイベントだってある。夏至です。この日、太陽は最も長く空に留まり、太陽と地平線の交わる方角は真西・真東から大きく外れ、2つの方角は約120度の角を成します。6月には確かに 今回の演出通りに太陽がのぼり、落ちる一日がある。

(この動画が分かり易い 2:00のとこを見ると夏至の様子が分かります) 

 この朝日=夕日仮説、それなりに成立する(というかこれ以外に太陽の位置が変わる理由がない)と思いますが、これだけでは「入れ替わってて、だから何?」って話でもある。これが正しいとすれば、何が言えるでしょうか。

 今回のカードは、粗く捉えれば制限と自由についての話だったと思います。アイドルとプロデューサーという社会的な立場。濡れてはいけない。怪我をしてはいけない。落ちてはいけない。6月と言えばジューンブライト。花嫁。結婚。どれもこれも人間の尺度で作った社会規範です。

 それに比べて夏至という日は超越的です。人間がどう生きようが、夏至は夏至。そんな夏至の夕日と朝日——時間的に最も離れた2つの太陽すら、造作もなく入れ替えて駆ける少女。

 『海へ出るつもりじゃなかったし』では年末年始という人が恣意的に決めたポイントから跳ぼうとし、【つづく、】の演出では透個人の落下を起点に時間が遡りましたが、今回はその比じゃない。天体の法則をひっくり返す超越が、しかも密かに行われています。

 ところで、夏至夏至書きまくったんですが、実のところ 太陽は6月後半ならいつでも約120度の幅で運行中で、撮影日がぴったり夏至とは限りません。夏至がどうこう言ってる上の部分は妥当かどうか、皆さんの率直な意見を聞いてみたいところです。ただ、全てから自由になろうとする透の衝動が「夕日と朝日が入れ替わる、もしくは夕日も朝日も同じものである」という超越的な現象を起こしている、という所までは やってもいい深読みだと思います。

 ここまでは映像に注目し、夕日=朝日 を強調してきました。ここでコミュの内容に注目すると、このイラストの 体温くらいの夕焼けには もう一つの イコール関係を感じます。火星=太陽 です。

「火星だと思ってた、太陽のこと」


 火星と太陽が同じでいい、というのは『True End:1個、光』の会話の中心で、今回のカードの中心でもあると考えています。これまでも登場してきた火星と太陽というモチーフですが、2つを重ねる表現が出たのは今回が初めてです。火星、太陽はそれぞれ何を指すのでしょうか?
まずは『2つ目のコミュ:火の星』から見てみると…

『国道沿いに、憶光年』より「2つ目のコミュ:火の星」

 このコミュではお寿司を崩した新人アシスタントを透が庇い、屋上でお寿司を食べている所を、プロデューサーが見つけて咎めます。ここで「火星だと思ってた、太陽のこと」と透の独白。

 この場面と【10個、光】、LPなどの蓄積から このように見立てられるかと思います。
火星:等身大の透。透の自己認識。
太陽:透の巨大な才能。外から見た透。透自身にも制御できない力。

 これを「2つ目のコミュ:火の星」に当てはめると自分を火星だと思っていた透は、その実 近づく人を焼いてしまう太陽であった、という感じ。ちょっと大げさな読み方ですが、LPも合わせて考えるとこれがメインの見立て だろうと思っています。

もしくは、シンプルにこんな読み方も出来そうです。
火星:透
太陽:プロデューサー
 「2つ目のコミュ:火の星」に当てはめれば、どうしてプロデューサーは分かってくれないの?一緒にいてよってことになりますね。

 どちらにせよ、この時点の透は火星≠太陽だった、という失望を感じています。そして この火星≠太陽の図式が後半2つのコミュで一変するのです。

 プロデューサーは『4つ目のコミュ:はだしで来い』で、透がプロデューサーと一緒に苦楽を共にしてのぼっていくことを求めていると気が付きます。そして、火星が沈むような夕焼け。

『国道沿いに、憶光年』より「4つ目のコミュ:はだしで来い」
上では朝日=夕日を強調しましたが、このぬるい夕焼けは火星=太陽の表現でもありそう

 『True End:1個、光』では「ここから見る時は、火星ってことで」「ただの名前だろ?」と太陽=火星で良いのだとプロデューサーがはっきり述べます。

『国道沿いに、憶光年』より「True end:1個、光」
これまで、Pは透の感覚を理解しようと追いかけるように見えてきたが、このシーンでは当然のように、透よりも先に透っぽい結論に至っている

 このプロデューサーの変化がいかに大きいか、透の初期SSR【10個、光】と見比べてみると…

 【10個、光】より「2つ目のコミュ:2こめ」

 【10個、光】のガシャ演出が挿入されるシーンでは、強い光(昼)と弱い光を比べ、かすかな弱い光を見ようとする転倒がプロデューサーによって行われました。そんな彼が今回は、透っぽい思考を辿って強い光≃弱い光 の境地に達している。これ以上Trueなendってなくないです?

 1個の光を目指す。一緒にのぼる。巨大な才能も 人間の透も 同じ1個の光なのだから、同時に追い求められる。人としての幸せも、アイドルとしての成功も、のぼった先で手に入れる――—伝統的なアイマスへの帰着とも取れる内容が、「曖昧に同一化する」という透的な思考法から導かれています。

カードタイトル、「憶」の謎

 最後にちょこっと、カードタイトルについて。距離の単位である「光年」 の前に置かれているのは数字の単位「億」ではなく「憶」。気になりますよね。
 Wikiで「億」を引くと…

 漢字の「億」は音符の「意」と意符の「亻 (にんべん)」を合わせた形声字である。
 元来は「胸いっぱいに考えられるだけ考える」という意味であったが、これが「考えられるだけ考えることのできる大数」の意味に変わり、ついには「想像も出来ないほどの大きな数」の意味となった。このため、「億」は「万」の次の単位となった。本来の「胸いっぱいに考えられるだけ考える」という意味は、「億」の「亻」を「忄 (りっしんべん)」に置き換えた「憶」に充てられることとなった。         

Wikipedeia「億」より引用

  憶って億から派生した字なんですね。「胸いっぱいに考えられるだけ考える」ってのがプロデューサーと透らしくて、使いたくなるのも分かる。

 もう少し、金八先生的こじつけをしてみる。「憶」の字にはりっしんべん と 意の下側の心、2つの心が入っています。形の違う心が別々に2つあり、同時にそれが1つの記号でもあるというのは  ギター≃蝉、終わり≃始まり、火星≃太陽と柔らかく同一視する透の感覚に似ていないでしょうか。

 特に、二つの心に火星(弱い光)と太陽(強い光)を見る読み方がお気に入りです。LPからのつながりで考えてみます。

透のLP『火』より

 〈億〉は透のLPから継続して登場しているワードです。LPのコミュ『オエイシス、イエーでは〈億〉が、不祥事を起こしてアイドルでは居られなくなったタレントの賠償金の話題で登場します。『火』で印象的だった「億、ある?」というセリフは、透がアイドルとしてどんどん有名になり、普通の人間としては生きられなくなっていく中で、透を特別扱いしない映画館の人々との出会いを踏まえて、透からプロデューサーに発せられた言葉です。まとめると「億、ある?」は「アイドルではない透を思う気持ち がどれくらい沢山ある?」と読み直せます。だから〈億〉には アイドルでない透を思う・弱い光を見つめる、という【10個、光】側のイメージが付随します。プロデューサーが【10個、光】で宣言したことを、LPでは透が強く求めているわけです。

 そんな〈億〉——弱い光を見つめる、が今回のカードで、2つの心を異なったままで1つにした〈憶〉に変わっています。これも結局、強い光と弱い光を一体として認識しようとすること、透の才能と透自身の両方が1個の光として大切にされていくこと、そして透とプロデューサーが共にあることを表現しているのだと思います。

まとめ(ようとした文)

 太陽の向き、火星=太陽、億→憶。3つの謎に、透の考え方(”=”のように固定的でなく、差異を残したまま漸進的に同一化する"≃”みたいな思考)を軸にして、一応の回答を付してみました。
 「≃で結ぶ曖昧な美しさ」と「ひたむきに走る・のぼる美しさ」がポツンポツンと不思議に併存している人。長らくこれが私の透に対する印象でした。そしてこの2つの美しさが「巨大な才能と等身大の透を”≃”で結んで、それをプロデューサーと一緒に(つまりPと透が”≃”的関係を築いて)ひたむきに追いかける」 という形で繋がれているのかな、とLPや今回のカードから感じています。

 今回のTrue Endでは、初のSSR【10個、光】の「True End:いつか」で話された見失ったあの星をいつか見つけるというセリフが回収されました。更にプロデューサーがジャングルジムでの出会いを思い出したと取れるシーンもありました。最終回でやることをやっちゃってる気もします。でも、ここからどう広がっていくんだ?と不安になり過ぎる必要もないですよね。なにせ火星と太陽は同じでいいと、二人は知っているのですから。

 ありがとうございました!世迷言を最後まで読んで下さって感謝です。
 
透に関して、シャニマスに関して、書ききれないことだらけです。火星・太陽・億といったワードの含意を、一つに限定する読み方では、取りこぼすものが多すぎる…。透のようにもっと柔らかい捉え方が出来るようになりたいです。今後もぼちぼち文を書きながら、よくなっていけたらと思います。また読んで頂けると、嬉しいです。

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